2024.8月中ライブシアター栗橋

 千秋楽初日の数日前は各所で立て続けに地震が起こり、テレビでは急な自然災害への備えを呼びかける映像が常に流れていた。社会生活の維持に対する不安が募り、憂鬱が拭えなかったが、解決策はなく、頭の片隅に不安と警戒心を抱えながら過ごすしかなかった。

 ライブシアター栗橋は自分が初めてストリップに触れた劇場で、当初は他の劇場の存在をよく理解していなかったこともあり、ライブシアター栗橋にだけ足を運んでいた。
ここ最近は自分の活動の拠点も生活状況も大きく変わり、足が遠のいていたが、劇場への道中や劇場に到着してからは当時の記憶や思いがゆっくりと蘇った。

 場内は溢れんばかりのお客さんで賑わい、熱気の中、しゃがみながら観劇をしたり、色々と大変ではあったが、とても楽しく過ごせた。こんなに人を集められる活力がありながらも閉館してしまうことがとても不思議だった。

 3回目、立ち見でステージが拝見できるくらいの余裕が客席にできた。初めてストリップを観劇したときも座って見ることが性に合わず、早々に立ち見へ切り替えたことを思い出した。
偶然、ゆきなさんの演目が、初めてのストリップで拝見した演目と同じで、何も分からない初心者だった当時の気持ちと今感じている気持ちが入り混じり、何とも例えようのない感覚が頭の中に広がった。

 栗組の出演者さん達の、閉館告知前に拝見した時と同じようなブレないステージや、特別な気持ちが込められているように見えたステージからは、色々なことを自分勝手に感じたり、想像したり、思い出したり、楽しんだりして感情が忙しなかった。感情が忙しなく変化するので、憂鬱だった観劇前の気分は早々に何処かへ消え去っていた。

 ステージを見ているときは孤独になれるのでとても好きだ。寂しさを噛み締めるような孤独ではなく、自分の頭の中に湧き上がる感情や想像にだけ向き合い、没頭できる孤独。
その全ては自分の思い込みだが、そこを詮索せず、詮索されずに胸中で自己完結できるところも、自分の中の孤独を自分自身で肯定できるようで好きだ。
数年前のことなので明確に思い出せないが、何も分からない状態で飛び込んだライブシアター栗橋の中で見た光景に引き込まれたとき、自分は直感でそういうことを感じていたのかもしれない。

 帰路は楽しさと寂しさが入り混じった余韻と暑さの火照りで頭の中がぼやっとしていた。冷房の効いた電車の中で、初めてのストリップで声を掛けさせてもらい、色々と教えてくれたお客さんから「ハマりすぎちゃいけないよ」と忠告されたことを思い出した。この時に教えてもらったことは今も心得て楽しませてもらっている。あれからイチ客として実施を重ねていく中で色々と学び、当時よりも客として、また人として成長できていると良いがどうだろうか。

 年齢を重ねて若い頃とは異なる質の不安や孤独や恐怖や苛立ちに苛まれることが多いが、自分の人生は自分自身でしか救えないと実感している。地震だろうが何だろうが、この先何が起きようと、生きている限りは、自分の良心に自問自答し、自分で自分を肯定できる実績を重ねながら突っ走るしかない。客としても人としても、続く限りは生涯成長期。





































何かの終わりは何かの始まり。
この場にいなかった方々も含めて栗組の皆さん、スタッフの皆さん、一期一会でライブシアター栗橋で親切にしていただいたお客さんたちの今後がより良い人生となりますように。

お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。

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