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【無料公開】[Day1]「生きるために書く」ブラックライティングの文章術(『10日間で作文を上手にする方法』)

はじめに

インターネットで注目を集める「文章術」を読むことにした。検索エンジンやブログメディアに「文章 書き方」とか入力すれば、誰もがいつでも無料で読める。50本近くの記事に目を通した。どれもせいぜい数千字ほどで、すべて足しても文庫本1冊にもならない。読み終えるのに半日かからなかった。だからこそたくさんのことを学んだ。遠回りになるけど、まずはその話から。


インターネット「文章術」はなぜ書かれるのか

「文章術」の歴史は長く、世界中にありふれている。和歌の指南書は12世紀には登場するし、「拙さ」の判定は『万葉集』が成立した7~8世紀頃からある。図書館分類も独立した項目を設ける。日本十進分類法なら「8 言語/810 日本語/816 文章.文体.作文」の棚を、国際十進分類法なら「8  言語.言語学.文学/808  修辞学.言語の効果的な使用/808.1  著述業.文筆活動および手法」を探せばいい。どれか1冊でも読めば、ネットサーフィンに何日も費やすよりずっと効率よく知識を得られるだろう。

なのに日本語圏のウェブメディアでは、いまでも「文章術」が書かれ続けている。きっと将来も書かれるだろう。Google Trendでみると、毎年お盆休み明けに「読書」「作文」「書き方」の検索スコアが上がる。読者はいるのだ。

この新しい「文章術」の世界で、書くことはしばしば「ライティング」と呼ばれる。この語には神聖さも、難解さも、特別さも与えられない。書くことは「作業」であり、「ルーティン」であり、投資対効果を期待したい「資産」だと見なされる。「情報発信」「メディア運用」「成果物」とも言われる。

だれかが「文章術」を求めるとき

「文章術」の作者たちはどんな読者を「ターゲット」にするのか。その言葉づかいから察せられる「ペルソナ」はみすぼらしい。(想像上の)読者はまとまった高等教育を受けておらず、基礎的なリテラシー(読み書き能力)を身につけられていない。他にも多くを欠いている。たとえば専門知識、職業上の実績、社会的な知名度、資金的な余裕、時間の猶予。それに、そもそもの執筆と読書の経験。

「文章術」の作者たちにとって、(想像上の)読者は「成功する前のじぶん」である。少なくともそうだとアピールする。「文章術」の作者も、かつては「何者でもない」「ただの」「平凡な」「ノースキルの」「初心者」だった。文章は「苦手」なのに「自己流で」「書かなきゃいけない」境遇にいた。経済的な事情か、業務上の要請があった。しかもなかなか「書けない」か、いくら書いても「読まれない」。だから悩み、焦り、消耗し、絶望していたのだ。

ホワイトな書き方、ブラックな書き方

そんな読者に何を伝えるのか。ここで「文章術」の立場は分かれる。親切で共感的な書き方と、あくどい自慢げな書き方に。便宜上、ホワイトライティング、ブラックライティングと呼び分けたい。作者がどちらを採用するかは簡単に見分けがつかない。大抵はひとつの記事にどちらも混在していて、頭から尻尾まで丸ごと信じられる「文章術」はなかった。そんなのどこにもないんだろう。

ホワイトライティングは、日々のトレーニング法やチェックリスト、チートシート、入手しやすい参考文献を奨める。単文の組み立て、学校文法の復習、人称・語尾の選択、初歩的な細部の工夫、編集・構成の考え方、添削・推敲の手順、校閲・校正の視点を伝える。テキストエディタを使い比べ、キーワード選定ツールを試し、校正補助サービスと剽窃チェックソフトを紹介する。アウトラインと箇条書きがもてはやされ、穴埋め記法とテンプレートが支持される。

ブラックライティングは、「誰でも」「必ず」「うまく行く」「コツ」「ノウハウ」を教えるとほのめかす。その記事に書かれた「テクニック」を「実践」すれば、「読まれる」「心を動かす」「売れる」「儲かる」「人生が変わる」文章が書けるというのだ。

その証拠に――と、ブラックライティングは「具体的な数字」を示す。作者の肩書、人気記事の影響力と収益額。講演・登壇の実績。フォロワー数やいいね数、マッチ率、ページビュー数(PV)。第三者(あるいは同業者)の「好評価」に、「文章術」を学んだ作者が「高報酬」の「依頼」を得た「事例」まで示す念の入れよう。

ホワイトライティングにとって、「文章術」は生活の糧であり、忘れがたい規則であり、豆知識の目録だ。読みごたえと美しさではなく、分かりやすさと問題解決に重きを置き、とまどいではなく自信を、疑いではなく信頼を読者に与えたい。

ブラックライティングにとって、「文章術」は副収入を稼ぐ時間外労働であり、不労所得を得る準備だ。流入数を増やし、ページランクやドメインオーソリティを上げるコストに過ぎない。(想像上の)読者は資金源となるアクセス履歴であって、知名度をあげる票田だ。

いずれにせよ、この「文章術」の作者たちにとって、「書くこと」は芸術ではない。報道でも批評でもなく、学術教育でも職業訓練でもない。社交でも趣味でもなく、日記でも試験でもない。「マニュアル」だらけの接客であり、「しないほうがいい」労働だ。

「目立ちたいから」「生きるために書く」

よく似た文体、よく似た話題、よく似た展開、よく似た結末の記事が、「無料」で大量に公開される。この光景に目新しさはない。検索エンジン産業の歴史はものすごく短くて、ありえないほど速いけれど、この十数年に、数百の言語で、何億万人が目にしただろう。その背後には不本意な失業と低賃金労働がある。マケドニアのヴェレスがフェイクニュース工場と呼ばれ、中国の深圳大芬村が複製された贋作の油画を量産し、日本で匿名掲示板のまとめサイトがネット世論を極端な陰謀論で煽った。どれも数年前のできごとだった。

パーソナルなコンピュータの普及によって生まれた「問題」ある新しいビジネス。この新産業で働く労働者にとって、剽窃や虚偽は、生計の手段が奪われるリスクを抱えた危険行為(ファール)に過ぎなかったのだろうか。

良心の呵責はあった。そう告白する元・作者の匿名記事がある。だけど「生きるために書く」ほかなかった、法規制が厳しくなるまでは。有名になりたかっただけだ、目立つなら何でもした。

それに比べて、この「文章術」の作者たちは、ずっと穏健で、安全志向だ。不況期に仕事を探しあぐねた、怪我や持病で無理できない、育児や介護で働く時間がとれない。ふとした弾みで学校に、職場に戻れなくなった。肉声の会話や接客が苦手だった。帰る家がなく、頼れる身内もいない。故郷に仕事がなく、役所も企業も大学も財政難にあえいでいるという。

作者ごとの事情があって、必死で生計を立てるうちに、どうにか多少のノウハウが貯まった。書くことはじぶんの性に合うようだ。それを生活の足しにできないか。あわよくば、次の商機にならないか。「文章術」というのは、そんな考えに行きついた無数の作者たちが、つい手を出したくなる執筆テーマなのかもしれない。

あらかじめ裏切られた言葉

不思議なことに、ブラックライティングに励むひとたちは、SEO、ファン、ターゲット、キーワード、ペルソナ、ジャンル、テーマといったマーケティング用語をふりまきながら、それでいて読者には、「自分が書きたいこと」を「自分のために」書くことをすすめるのだ。この書きぶりから何を読みとるべきかに迷う。きっと本音であり、建前であり、忠告であり、リップサービスでもあるから。

ブラックライターたちは書く。目標の「達成」には「戦略」があり、正しい「運用」と有効な「活用」のポイントがある。だから「型」を守れと言い、「基本」を学べと言う。そうして決まって、有料記事の定期購読、講座の入会、講演イベント予約、アフィリエイト広告をすすめる。なのに、ブラックライターが書く「文章術」は、誤字・脱字だらけで、文構造が粗く、論理の飛躍と強引な要約が目立ち、論題の吟味がなく、思いつきを裏取りせずに書き流していて、出所の取り扱いもずさんだ。

むき出しのビジネスモデルが恥じらいもなく採用される、殺伐とした文化圏だとでもいえば、批判した気になれる。だけど、ブラックライターたちの「自分が書きたいこと」が、読者の無知につけこむ「文章術」だとはどうにも思えない。「自分のために」書くのなら、読者の欲求に合わせた言葉づかいは選ばないはずだ。条件反射を誘うページ構成はしないし、見知らぬ他人の評価も当てにしなくていいだろう。

彼・彼女の書く言葉は、彼・彼女自身の言葉に裏切られている。「文章術」を欲しているのは、他でもなく「文章術」の作者じゃないか? これは悲しい想像だ。

だれもが余裕のない労働者

ホワイトライティングにはまだ善意がある。こだわりもある。知識の出し惜しみもない。だけど残念なことに、十分な添削に恵まれなかったらしいテキストばかりだ。「ある一文の批判対象が、その一文自身になる」なんて、笑うに笑えないこともよく起きる。労力対効果を思えば当たり前だけど。たとえば、こんな「文章術」がある。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

この一文は、長い。「a.一文が長いと読者の混乱を招く」「b.結局何が言いたいのか分からない」「c.という状態になる」の3つに分解できる。「a.」と「b.」を分ければ一文が短くなるし、「c.」は要らない――と思いきや、この「文章術」の著者は次にこう書く。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

どうやら「接続助詞は控えめに」と伝えたいらしい。はじめからそう書けばいいのに! 先生口調が災いして、助言の焦点がぶれちゃったみたいだ。この「文章術」の助言に沿って、この「文章術」を直すと、たとえばこう書ける。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

Webメディアの編集チームはただでさえ忙しい。どれだけ儲かるかも分からない記事に、丁寧な校正をかける時間も費用もないのだろう。気の毒になるくらいだ。

他にもこんな「文章術」があった。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

たしかに、「文の中に」「意味が」「全体が」「印象に」は、どれも「なくても意味が通じる」語だ。それらの「語があると、文全体がしつこい印象になります」。この「文章術」の助言に沿って、この「文章術」を直してみると、たとえばこう書ける。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

記事タイトルから分かるように、この「文章術」の作者は、多くのひとが検索するとき思いつきやすい単語を、これでもかと一文に詰め込む書き方に慣れている。検索エンジン最適化(SEO)を狙ったフレージングだ。文構造がくずれても、語の組み合わせで意味を伝えられる。近年になって新たに普及した、新しい書き方だ。だからかえってその癖が自覚しづらく、抜けにくいのだろう。

こんな「文章術」もある。

※引用文は本編でお楽しみください。

出所:略

まったくだ。この「文章術」の助言に沿って、この「文章術」を直すと、こう書ける。

 

出所:略

「なんか」「まとめましたよ」「みたいなもの」「もう飽きている」なら、書かないほうがいい。読者をなめているし、作者のモラルが疑われるだけなのに。もしかすると、本人の意に反して、だれかに無理やり書かされたのかもしれない(たとえば、善意に)。

「文章の『プロ』とは『プロフェッショナル』ではなく『プロレタリアート』の略語と考えるべきなのだ」と、斎藤美奈子『文章読本さん江』は書く。その指摘がホワイトライティングの「文章術」に当てはまる。労働者なのだ。これらの「文章術」の作者には、じぶんで書いたものを読み返す時間さえ与えられていないのではないか。

きみは何を学んだ?

遠からず「文章術」のビジネスは、苦労のわりに儲からなくなるだろう。元からさほど稼げるとも思えない。類書は多いし、よく似た記事はひとまとめにされやすい。簡単なノウハウはだれにも独占できない。すぐに役立つことはすぐに飽きる。学びの質を高めるには手間と時間がかかる。どれだけ教え方が整っても、学習者にやる気がなければ身につかない。

時代も変わった。ソーシャルメディア運営会社による政治広告の規制とアルゴリズム操作が本格化して、検索エンジン大手はCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)をめぐる虚偽情報の抑制に努めた。デジタルコンテンツの主流は動画に移り、ニュースメディアは定期購読者の獲得と、愛読者向けチャンネル運営に注力する。機械学習アプローチによる文章生成AIは、敵対国の世論操作にもさっそく使われている。

より高品質で、より実益のある「文章術」が求められている。復古調のアジテーションもちらほら見かけるようになった。新興のライティング講座はカリキュラムの充実に余念がない。印刷出版業界ではたらく著者・編集者が、続々と有料サービスに参入する。Web2.0最盛期に脚光を浴びた、成り上がりと下剋上のキャリアパスは、すっかり新鮮味をなくしてしまった。

「ライティング」の持つ意味は、その言語圏の文化的な慣習によってちがう。禁じられた単語を書き込むだけで処罰される国があれば、行政文書を書き換えても何の罪にも問われない国がある。セラノスのCEOだったエリザベス・ホームズは詐欺罪で起訴され、DeNA執行役員メディア統括部長だった村田マリには就業規則にもとづく処分が下された。

2016年にDeNAが運営した10のキュレーションメディアは37万6,671件の記事を掲載していた。そのうち7,156件から21,093件(推計値1.9%~5.6%)に、第三者の著作権を侵害した「可能性」があった。不誠実が明るみに出るまでは、1文字0.5円で2,000字の執筆依頼がクラウドソーシングサービスにずらっと並んでいた。これが当時の相場なら、作者の原稿料だけで、少なくとも3億7千万円がこのプラットフォーム/メディア事業に投じられた。

それから5年以上が経って、いまも読み返される記事がいくつ残ったか。書き捨てられ、読み捨てられた「文章術」は、日本語圏の文章表現に何を残したのか。「10日間で作文を上手にする方法」を考えるとき、このことから目を背けるわけには行かないみたいだ。

「どうせ私をだますなら 死ぬまでだまして欲しかった」(東京ブルース)

Day2へつづく

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