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好きの気持ち

皆さんは好きな人っていますか?「好きな人」と言われて誰を思い浮かべますか?どのような関係性の人を思い浮かべますか?

私にも勿論好きな人はいる。けれど「好き」な人というより「すき」な人という感じで、何なら人間関係の8割がこの「すき」に該当する。残り2割が「苦手」、ごく稀に「論外」な人が存在する。

この「すき」ってなんだろう?

そして君の言う「好き」ってなに?

難しいなと思う。「すき」が「好き」になるキッカケとか基準とか、そういうのが分からない。割と長く生きているのに。えーこの人すき!と思うことはあってもそれが「好き」である自信は無いし、実際「好き」ではないことが多々ある。
どこに見分けるポイントがあるのか知りたい。分からなさすぎる。


過去の私は自分自身の「すき」を理解しておらず、しっかり失敗した。長くお付き合いした相手と結婚し、しかしすぐ離婚した。熱量が違ったし、立場が対等でなく感じた。後悔した。
全ての原因がこれであるとは決して思ってはないけれど、気持ちの根本的な理由にはなり得ると思う。相手は私を「好き」で愛してくれていたけど、私は「すき」なだけで愛することがどういうことか理解できなかった。具体的にどうなったら「愛してる」なのか未だに分からない。

簡単に言えば大切で、仲良くしていたい。困った時は力になりたい。他愛のない話をして笑いたい。簡単な失敗は許してしまう(落ち込まれるより笑っていてほしいので)。そういう「すき」だ。
たぶん、「好き」が分かる人も同じようなことを言うと思う。大切で仲良くて、互いに助け合い、雑談も楽しめる間柄の人。それが「好き」な人もしくはこれから「好き」になる人なんだろうか。

「好き」にはある程度広い範囲の人が当てはまるんだろうな、と思う。私にとっての「好き」は恋愛対象、「すき」はそれ以外のイメージがある。
けれども実際はどうだろう、間柄に関係なく「好き」は飛び交っているように感じる。恋愛対象への「好き」と家族や友人への「好き」を、ごく自然に使い分けている。

私にはそれが出来ない。


もちろん「すき」の内数ミリだけ、私にも「好き」は存在するが、これは皆の言う「好き」ではなくて、もはや宗教のような熱量がある。私の中で相手は「教祖」になり、やがて「神様」になる。人生に於ける依存先とも言える。
信仰深い教徒になった私は「教祖」から自分とは違う考え方を学び、視点を学び、息抜きの仕方を学ぶ。仕事中にイライラしたら「教祖」の言葉を反芻して深呼吸する。煙草も吸う。そしてまた仕事に取り掛かる。あ、もちろん金銭の支払い等は発生しません。私の頭の中では相手が開祖している、という話なので。

精神安定剤のような存在、それが私にとっての「好き」な人。これも同じ「好き」ではあるけれど、我ながら歪だなと思うのでオススメはしません。

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