痛いファッション特集になぜ需要があるのか


「今は人に差をつけるファッションじゃなくて、痛いと思われない、浮かないファッションの特集が人気があるんですよ」

前にとあるファッション誌の編集さんからこんな言葉を聞いた。

だから今回炎上した40代女子のロックTは痛い的な記事が量産されるのはよくわかる。需要があるのだ。

だからと言って「こういうファッションは痛い! NG!」って言うのに私は反対だ。だってそれ、呪いだもの。こういう呪いが世に蔓延したら好きなものを好きに着れなくなるし、そんな呪い今かけなくてもとっくに世には呪いが蔓延している。普通に身近な人から「もうアラサーなんだからミニは履けない」とか聞く。そんな呪いはいち早く消え去って欲しい。

でも私はデビューしたての頃そういう記事を書いたことがある。合コンに自己主張の激しい服を着るなって書いた。

今考えると自分の無知さに、自分の力への無自覚さに、想像力の無さに、浅はかさに顔が真っ赤になる。私の記事で傷ついた人がいるはずだ。私はまぎれもなく呪いをふりまいたのだ。あれは「こういう人は痛い」って書くことで自分が痛くない側に立ちたかったんだと思う。読者に対するマウンティングだった。

心から謝罪します。

そして今過去の私に思いっきり反論させてもらう。

合コンに自己主張の激しい服は着た方がむしろいい。

個性こそが人を惹きつける最大のフックだからだ。(よかったら数学者のハンナ・フライが語ったこの動画見てみて。これはオンラインのデートサイトについての言及だけど、目から鱗じゃないかな。後半の離婚を避けるための大事な因子についても是非是非。数学的に「怒りを溜め込むべきではない」ということが証明されてたりします)

https://logmi.jp/86204

綺麗事でもなんでもなくて、自分の個性を魅力と捉えてくれる人と繋がるのが一番だ。「男ウケ」という言葉も男性に失礼。だって「女だから甘いもの好きでしょ?」ってどやってスイーツの店連れてかれたら嫌だ。いくらスイーツが好きだとしても。「私」がスイーツを好きなのだ。


しかし、こういう記事が量産されるのは、ライターさん一人の責任じゃないと私は思う。世に蔓延する呪いのせいだ。

そして、呪いがあるから需要が生まれるのだ。

「なんかこういう服って痛いらしいよ」「あの人40代なのにあんな格好してて痛いよね笑」って話を聞きつけて「じゃあ痛いって思われたくない」って人は思うのだ。そもそもみんなが自由に好きな服を着るのが一番って価値観でいられたら「痛いって思われたくない」なんて思わない。

呪いが先にあって、需要が生まれるのだ。

恐ろしい霊がとりついてますよ!って言って必要のないツボを買わせるのとなんら変わりない。

だから、私はメディアは呪いを助長するのではなくて、どんどんそういった呪いを断ち切って行く方向にシフトして欲しいと思っている。読者ももう呪いはお腹いっぱいって気が付いてるし、自由に解放されていくほうが楽しいし、楽しかったら景気も良くなる。ファストファッション一強ではなく多種多様な洋服が売れる社会にもなると思う。楽しくなったらファッション誌読みたいって思うし、記事も読みたいって思う。

ここからは個人的な意見ですが

年齢でファッションを区切ること、その思想が個人的には想像力の欠如だと思っている(ダサいと思ってる)。人間なんて個々それぞれなんだから、性別や年齢や体重で区切るのってまるで意味がない。その人がどういう人なのか、そこにつきるのだから。

そのダサさに気づけていない、気づかないふりをしているメディアがファッションを提案したところで私は信用できない。ファッションって自己表現の一つで、自己表現をするってことはその人なりの知性(学歴って意味じゃない、経験と知恵と個性から織りなされるその人の考えだ)が必要だ。そこにセクシーさも宿る。だからそれを提案する側に知性を感じられなかったら説得力を一切持たないと私は思っている。ファッション誌のGINZAが前に「知性」を丸っと特集したとき痺れたもの。

自分に自信があれば呪いなんてそんなもの撥ね飛ばせるけど、そんなにみんながみんな強いわけじゃないのだ。私だってまだまだそこまで強くない。保守的な男性が多い場に行く時は無意識にシンプルな服を選んでいる自分に気がつくときもある。

別にみんな高い服を着ろ、奇抜な服を着ろってことじゃない。

自分がしっくりくる服を、誰かにやいやい言われることなく着れたらいいよね、ただそれだけ。「痛くないかな」ってビクビクするより、みんな笑顔の方が良いに決まってる。

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