父との最後の乾杯
50歳でこの世を去った父
心筋梗塞だった
私達 子どもが大きくなるにつれ
だんだんと家に帰って来なくなった父
そんな父と母が離婚した後は
ほとんど連絡もなく
会うことも なくなっていた
よそに家族より大切な人が
できた…ただ それだけのこと
離れた父を追いかけることも
もうできないほど
父との心の距離も遠く
離れてしまっていた
頭の中に居残り
何度も何度も甦ったのは
サヨナラも言わず
出て行った父の後ろ姿だけ
悲しいとも寂しいとも違う
何色とも言えない日々が
当たり前になってきた頃
突然 父から連絡が来て
「飲みに行こう」と誘われた
いきなりの出来事に
最初は戸惑ったけど
一緒に暮らしていた頃と
何も変わらない父の態度に
一瞬で時間が引き戻されたような
気持ちになった
私は迷わず「いいよ」と
返事をした
待ち合わせの場所に
現れたのは やっぱり
相も変わらずの父だった
人通りの少ない道を
あまり会話もせず
二人で歩き向かったのは
父の行きつけの飲み屋さん
路地裏にひっそりとあり
いわゆる庶民派と言われるような
雰囲気の外観を見て
つくづく父と私は
好みが似ているなと思った
父はお酒が好きだった
飲み歩き酔っぱらって
帰って来て つぶれている姿を
小さい頃から しょっちゅう見ていた
私も父に似て
お酒が好きだったけど
二人で飲みに行くのは
この時が初めてだった
お店に入ると 常連なのが
すぐわかるような挨拶で父が
店主さんに声をかける
店内に 人は少なく
すぐに座敷の方に
座るよう案内された
席に着くと 手慣れた様子で
飲み物と 普段食べている
ツマミを何品か頼んでくれた父
店主さんに 少し照れたような
嬉しそうな顔をしながら
私のことを紹介していた
乾杯をして飲み始めても
最近のこと 二人共通で好きな
音楽の話などは少ししたが
そこでも あまり会話はなかった
きっと伝えなければ
いけない大切なことが
心の中にたくさんあったはずだけど
父も私も そのことには触れず
ツマミをつつきながら
美味しいお酒を飲み
久しぶりの親と子の
時間を空間を ただただ
二人で 過ごしていた
途中 父がお店のカラオケで
聴いたこともない歌謡曲を
一人楽しそうに歌っていたことは
今でも鮮明に覚えている
お店を出ると 軽く挨拶を交わし
私達 親子は別々の家へと
帰って行った
それから しばらくして
父は亡くなり 二度と
二人で飲みに行くことは
できなくなった
父が あの日何故
私を飲みに誘ってくれたのかも
わからないまま
父に伝えるべき大切な言葉達も
きちんと伝えられないまま
サヨナラになってしまった
当時の私は 未熟すぎて
わからなかった
父のことも 母のことも
自分のことでさえも
何が正しくて 何が間違いで
どうすれば良かったのかも
でもね 今なら少しわかるよ
心は変わるものだったり
離れていくものだったり
そして 誰かと一緒にいても
孤独になることがあるってことも
今ならわかる
わかるんだ
あなたの歳に近づくごとに
親も一人の人間なんだってこと
ひしひしと感じるようになったから
愛のカタチもいろいろだって
認められるようになったから
気付いてあげられなくて ごめんね
乾杯と聞いて思い出すのは
父との最後の乾杯
会話はあまりなかったけど
父と私の時間が そこにはあった
私も いつかはそっちに行くので
そしたら また乾杯しよう
だから その時まで
待っててね
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