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101号室 ツタとサボテン

2020/07/25

101号室の窓から外を覗くとフェンスの両端からツタが延びていた。
誰かが外にほっぽりだしている植木鉢から絡まってきたらしく、日を追うごとに左右からじりじりと近づき合っている。
今やツタの先端と先端が触れ合うあと一歩の状態で、まるで「アダムの創造」の指先みたいだなと思った。
あの絵は指先が触れ合う一瞬前を見せたところにミケランジェロの素晴らしさがある。
万人が確信的に想像できるカタルシスがこの指先の隙間にあり、次の瞬間にはギラギラの特殊効果と豪華なBGMをふんだんに盛り込んだ絢爛なシーンがやってくるし、インド映画なら全員が踊る。

まぁこちらはツタとツタの先が絡むだけだからそんなに大それたことが起こるはずはないが、それでもやはり触れ合う瞬間を見たい。
ここ数日はささやかな楽しみにと観察していたのだけれど、すんでのところでアダム側(向かって左側)が逆方向へと進路を変えてしまった。
後は逃げる左を右から迫るツタがぐわしと絡め込むようにずいぶんと押し付けがましい形で決着がついていた。哀れ、アダムよ。

タコシェで買ったみなはむという画家の画集が気に入ってパラパラと眺めている。
漫画調に素朴に描かれた少年少女のポートレイトの多くは背景に植物が描かれており、その繁茂する様は時に彼らを飲み込まんばかりだ。
その草木の様子は思春期の心の陰りや情動を表していると捉えるべきかもしれない。
ただその生き生きとしすぎている植物からは単純に街中の野生のこわさ、鉢植えや街路樹といったきちんとした管理下の草木であっても時に暴走的に生育するこわさがある。
あ、これこそまさに思春期の心の現れだなあ。

今日は散歩中に茂みに捨てられた月刊ムー、そしてフェンスごしに草木に飲み込まれていく子供用自転車を見た。
屋根より高いサボテン群に押しつぶされそうになっている近所のツタ屋敷の前を通り、最近うちの出窓に置き始めた全長30cmのサボテンの行く末が少し不安になった。

(みそみそ・そ)


このところ家の中をより良くしようという意欲がすごい。毎日ずっと同じ景色を眺めているからだろう。サボテンとそれに合う鉢をいくつか買い窓辺に置いた。葉っぱがぴらぴらしているような観葉植物と迷ったけど、Meditations(京都のレコード屋、巨大なサボテンがある)への憧れが強くサボテンを選んだ。サボテンだけを並べてもなかなか良い具合になったけど、ギリシャで買ったキクラデスの置き物と鳥人間のような置き物を一緒に置くと更にかっこよくなった。今まで家の中で異質で浮いた存在だったこいつらが運命の出会いによってようやく自分の居場所を見つけたようだ。そういう予想外の嬉しさもあり、家の物たちの結束はより強くなったのであった。

作業部屋の模様替えもした。前より机の上のスペースが広くなったし、2人では若干使いづらい位置にあったパソコンもちょうど良い場所におさまり使いやすくなった。模様替えの時はだいたい草平さんが発端となり構想を考える。私は割と現状を受け入れて妥協してしまいがちだけど、草平さんは常により良くできないかを考えている。そういうのって結構エネルギー要るからつい楽な方に流されてしまうな、すごいね。

給付金を使って高い炊飯器も買った。高いだけあって、いつものお米でもとても美味しく炊ける。炊きたてのところにしゃもじを入れると、ふんわりしていてベタつかず我々好みの少し硬め。それでいてみずみずしい感じ。冷凍しても美味しい。しかもこの炊飯器はホーロー鍋にヒーター機能をくっつけたようなものなのでいろんな調理ができる。無水ポトフを作ってみたらじゃがいものそのままの味とほくほく感が極まっていて「ほう・・・」と声を出して感動してしまった。これは良い買い物をした。今度蜂本さんやクリタ氏と無水カレーを作って食べたい。美味しいものを知るといろんな人に食べて欲しくなるな。

(みそみそ・み)

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