「新しい時代」と「コミュニティ」
最近、「コミュニティ」という言葉をよく見かけるようになったが、以前使われていた意味とは違っている(*'▽')
聞き慣れた言葉であるのは、高度成長1960年代にニュータウン建設時に移住者同士の交流のためにコミュニティセンターや広場を作られたことによる。当時は人と人のつなげる場を指していた。
昨今、資本主義の影響からお金や会社のような見える財産が重要視され、信頼、温かさ、人間成長のような目に見えない財産は軽んじられてきたと言われている。
その結果、「人と人のつながり」は分断された。
また、スマホが1人1台の時代となり、個人で知識も買い物も交流も人と人のつながりがなくても個人で完結する時代になった。昔はわからないことは面倒でも人に尋ねた。買い物でも情報交換とともに交流があった。もちろんその便利さ、テクノロジーによる恩恵は計り知れないが、同時にその扱い方を知らない我々は、「人と人のつながり」という見ない財産を失っていったとも言えるのではないでしょうか。
そして、信用できる人かどうか、人を見る目、「目利き力」も弱くなっていると言われている。インターネットでは、その匿名性からSNSでの心ない言葉が容易に飛び交い、子供から大人まで精神的に傷つき、自殺にまで追いつめられることもある。インターネットで出会ったことで犯罪になるニュースは後を絶たない。
現在日本では、うつ病患者は110万人以上、自殺者は2万人以上、孤独死は3万人以上にのぼっている。
2040年に一人暮らし世帯は4割となると言われている。自宅と学校、職場以外にリアルなつながりはなく、誰とも縁のない、無縁化社会はますます進む。
そんな中、注目されているのがシェアによるコミュニティである。資本主義は資源が有限であることにより限界が見え始めており、東日本大震災以降、人と人のつながりの重要性が見直され、求められている。シェアハウス、シェアカー、ミールシェアリング…もともとは経済的負担を軽減させる目的で始まったのかもしれないが、その波及効果はさまざまな形で現れ、期待されている。その一つが失われつつある「人と人のつながり」である。
人間は、個人になればなるほど、お金は必要となり、他人に厳しくなり、共感性は失われ、孤独感は増す。
もし目の前で知らない人が倒れたら、どうしますか?
もしあなたが個人で完結した世界に住んでいたならば、自分のこと、スマホの世界が優先されるであろう。面倒なことに巻き込まれたくないが本音だと思う。
でも、考えてほしい。自分が相手の立場だったとしたら…
もともと日本は東洋思想が根付いており、お互い様、助け合いの精神があり、「人と人とのつながり」はきっともともとあるはずのものであるはず。
心理学でも同じ1960年代に精神科医や心理カウンセラーが病院から地域へメンタルヘルスの維持、精神疾患の支援と予防を目的としたスクールカウンセラーなどのコミュニティ心理学が誕生している。メンタルケアも大事で必要だが、それだけでは解決できない問題なのだ。
つながりという「コミュニティ」はあまりに当たり前であったため、まだ言語化できていない大きな力があり、さまざまな社会問題を解決できる可能性がある。
平成が終わる今、「人と人のつながり」が、これからの日本の新しい時代に必要なのではないでしょうか。
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