浅草巡検@隅田川班
ブラチリブ、こと世田谷学園地理部は2020年1月に、浅草へ巡検に行きました。浅草では、「スカイツリー班」「歴史班」「隅田川班」に分かれて散策を行いました。今回は「隅田川班」が参加した隅田川の川下りについてご紹介します。
隅田川川下り
隅田川には、いくつかの川下り用の渡し場があり、そこから隅田川を行き来する遊覧船に乗ることができます。スカイツリーを望む浅草〜日の出桟橋まで大体35分で移動できます。
隅田川の橋の”色”
隅田川に架かる橋は橋ごとに色が異なっています。例えば浅草からの川下りで最初に通過する厩橋なら渋い緑色、次の駒形橋は鮮やかな水色、その次の我妻橋は弁柄色(暗めの赤色)という風に、これらの橋の色はその橋の周辺の風土に合わせて決められています。これらの橋からは隅田川が江戸の文化にもたらした多彩な影響が伝わってきます。
川下り
今回の川下りに利用した遊覧船は、TOKYO CRUISEの浅草桟橋を出発し、浜離宮へと向かう便に乗りました。船が出発してすぐ、右手に東京スカイツリーを隅田川から眺めることができます。左手には金色に光る「アサヒグループ本社ビル」(通称:うんこのビル)が現れます。幸運(こううん)にも私達はこのビルに反射した金色の東京スカイツリーを見ることができました。反射の都合上、川の上からは一部の時間帯しか見ることができないそうです。
浅草を離れてしばらく経つと、三つの橋と蔵前橋、旧安田庭園、大相撲の本場所が開催される両国国技館、両国橋を通過します。両国橋、厩橋付近は東京二大花火大会のうちの一つ「隅田川花火大会」の見物名所となっています。明治には花火にあまりに人が集まりすぎて両国橋が折れてしまったことがあるそうです。ちなみに「両国」の地名の由来はかつて下総国との境にあった橋が「両国橋」と呼ばれたことに由来しています。
両国橋を通過し、三つの橋を過ぎると、帝都の門、赤穂浪士休息の地として知られる白い「永代橋」があります。ここで隅田川は分岐し、ここを右に曲がると「メッセンジャー像」がある「中央大橋」、戦後初めて架けられた橋「佃大橋」続く「勝鬨橋」を通過し、目的地「日の出桟橋」に到着します。
言問橋
日の出桟橋の渡し場で降りると、私たちは地下鉄で再び浅草に戻りました。そして今度は逆に隅田川沿いを上流へ進みました。隅田川を上っていくと、隅田公園、そして言問橋に到着します。言問橋の名称の由来は諸説ありますが、在原業平の読んだ「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌にちなみ、ある団子屋が団子を「言問団子」と名付け、人気となったため在原業平の碑を建てたことからこの一帯に「言問」という名がついたという説が有力なのだそうです。
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