ぼくらはもっと素直に働いていい

ユーグレナ社の個人投資家説明会に行ってきたぺんぎん氏が、業績よりも社員が大事にされているかどうかが気になった、という話を面白く読んだ。

つい最近も、仕事をやらされるのと、やりたいからやっているのとでは大きな違いがある、という話を同僚としていて、それはまあ当たり前で、となるとやりたいことだけをやるには二つのシンプルな選択肢があるだけである。

1.やらされてる仕事はやらない

2.やらされてる仕事をやりたい仕事に変える

当然ながらサラリーマンにとって重要な技術は後者であって、思うのは、その技術はちゃんと継承されないと途絶えてしまうのかもなあということだ。

やらされ仕事がやってきたとき、ぼくはまずこれをどうすれば面白くできるだろうかと考えて、自分の関心のあることと結びつけようとする。

びっくりするくらい作業をするだけの相談が来たとしたら、その作業が発生している理由をたどっていって、その先で起きていることを聞き出せば、実はなんだそんなことならちょうど試したいことがあったのよね、ということがすごく多い。

あるいは、それでもどうにもならない場合、視点を切り替えれば、膨大な作業を効率化するすごく良いタイミングだったりするので、作業するメンバーで集まって、どこを直せばスピードが上がるかをワイワイ話し合って、段取りを改めて、その通りに一気に仕事を終わらせれば、他のやりたいことに時間を使うこともできるし、なぜかこういうプロセスを共有すると、メンバー同士が仲良くなったりする。

もうちょっと考えると、やらされ仕事というのはもともとは誰かのやりたい仕事だったりして、それがいつのまにかやらされ仕事に変わってしまう。

どこで変わってしまうのかといえば、もちろん「やりたい」を共有できなくなった瞬間である。

ビジョンが大事とかいわれるのも結局そこで、だからビジョンというのはそんな素晴らしいものでもなんでもなく、とあるやりたいことがあって、それを一緒に取り組みたい人は一緒にやろうぜという「この指とまれ」でしかない。

「この指とまれ」なんだから、興味のない人はとまらなくたっていいのである。

そこを無理にとまらせようとするから色んな不幸が起こる。

ただまあ、これはほんとに思うのだけど、世の中の仕事というのはだいたいは実際にやってみると面白いし楽しいのであるが、それを経験もせずに「やりたい人」「やりたくない人」に分けようとするからややこしい。

「この指とまれ」と言ってもとまらないけど、だからといって他のどの指にもとまらないし、だったら自分の指を出せばいいのにそれもしない、という人は、とりあえず誰かの指にとまってみて、そこで一度他の人のやりたいことを共にしてみる経験も必要だろう。

サラリーマンをするというのは、そういう意味でしかないと思っていて、運よくそのままとどまり続けていもやりたいことができそうな場合はとどまればいいし、やっぱり自分でやりたいことがある人は別のメンバーを呼び寄せてみたらいい。

おまけに最近は複業という考え方も浸透しはじめているから、誰かの指にとまりながら、自分も指を出すこともできるのである。

要はそうやって、ぼくらは「やりたいこと」の交易をしながら暮らしているわけである。

この往復書簡も、お互いの関心のあることを見せ合って、そういやこんなことやりたかったんだよな、というのを気づきあえる機会になればいいし、たぶんそうなっているように思う。

てなわけで返します。

Dag.


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