実は割と満足のいく人生だったりする


ぺんぎん氏とのやりとりはいつも楽しくて、それはなぜなのかよくわからないけど、彼はいつもぼくにいい感じのボールを投げてくれて、でもぺんぎん氏は決して、ぼくが打ちやすい球をわざと投げているわけではなく、自分が投げたいコースに投げているだけで、しかしそれが絶妙にぼくがバットを振りたくなるところに飛んでくる、そういうところが好きなように思う。

死ということや、中年を迎えてのこれからの人生、というあたりはこれまでもやりとりしてきたわけだが、ちょっと間が空いたので、あらためて、ぺりお氏の記事を読んだ。

それで思うに、これまではちょっと予防的というか、そうなる前に心の準備をしておこうと思って、おっさんという存在について考えてきたのだけれども、いよいよ髪も薄くなってきて、シミもどんどん増え、物覚えも悪くなってくると、ああ本当に自分の寿命はもうあまり残っていないんだなと感じる。

でも、いつも極端な物言いしかできないのだが、ぼくは割と自分はいつ死んでもいいなと思える部分があって、もちろん今死んだら子どものことが心配なので死にたくないけれど、それでも自分の人生というのはなかなか面白かったなあと、走馬燈を見ながら満足できる気がする。

それはたぶん、ぼくは自分なりに懸命に生きてきたからだと思えるからだろう。

もちろん、しょうもないこともいっぱいしたし、だらだらとした時間もたくさん過ごしてきたし、競争にも何度も負けたし、キラキラした世界の住人にはなれなかったけど、だけどまあ、本来、生きるのに向いてない、生きるのが苦手な人間の割には、かなり努力してきたんじゃないかと思えるのだ。

子どもの頃、カップラーメンのフタを開けたら、その裏にサラリーマン格言みたいなものが印字されていて、そこには、反省はしても後悔はするな、と書かれていたのを今でも覚えていて、今でも覚えているということは、未だに心の中に刻まれていることなのだろう。

そうだ、ぼくの人生にはたくさん反省すべきことがあり、今からでもまだまだ修正しないといけないことは色々あるかもしれないが、しかしあんまり後悔はしていない。

バカのくせに猛勉強して行きたい学校にも行けたし、友だち付き合いが苦手な割には大学時代に大切な友人もできたし、留年したおかげで夢を見つけることもできたし、ちょっと時間はかかったけどその夢を叶えることもできたし、そこから追い出されたけれども、そのおかげでブログをはじめ素晴らしい出会いがあり、おまけに家族を持つという貴重な体験までできた。

こんなに充実した人生を送れたことには何の不満もなく、ああ本当にいい人生だったと思えるのだ。

なのに、まだやりたいことが色々ある自分というのは一体どこまで欲が深いのだろうとも思うが、生きている間はギリギリまで自分の命を楽しみたい。

今の自分の人生は、オモテ面クリア後のエクストラステージである。

そんなわけで、ぺんぎん氏にバトンを渡します。

dag.



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