かっこよく生きようとしない!
https://note.mu/perio/n/n03231c5497d3
https://note.mu/hiranok/n/nc137d01d6351
平野啓一郎さんの記事を読んで思ったんですが、あくまで、ぼくにとってはだが、かっこいい、ということに憧れるのは危険なんです。
かっこよさなんてものを求めて成功した試しがなく、むしろ他人が作り出したかっこよさにとらわれて長いあいだ思考停止に陥ったりするので、かっこよさはぼくにとって害悪なんです。
難しいのは、自分自身がかっこよさから離れようとしても、別の自分から何やら怪しい言葉がささやかれる点ですよ。
さっきの話し方はイマイチだったとか、それじゃ周りがガッカリするとか、こっちのほうがそれっぽいんじゃないかとか、余計なことを色々ささやかれて、あっちにこっちにフラフラとさまよって、かっこいいどころか、最高にかっこわるい人生を歩んできてしまったわけです。
ただまあこれまでのことはもういい。
これからのぼくは、もう髪の毛も薄くて肌に水気もなく何日徹夜しても平気な体力も失われてしまって社会的地位も低く稼ぎもわるい、かっこいい要素なんて一切ないのだから、いい加減にかっこよさから逃げます。
全力で。
ぼくはすぐに何かを背負ってる気になって、それをみんなに見せびらかして、なんかやった気になりますが、もうそれやめます。
ぼくはたいしたものは背負ってないし、何も社会に貢献してない、だから誰にも何も自慢できることはないし、それと同時に、ほとんどの人に対して何の責任も持ちません。
ぼくはすぐに何かいいことを言おうとしたり、それっぽいまとめ方をして事態を収拾しようとしますが、もうそれをやめます。
ぼくがそうやって何かを締めくくろうなんざ誰も期待してないし、それは他のもっと偉い人がやればいいことで、しかしそれをぼくが聞いて納得するかどうかはぼく自身が決めます。
ぼくがぼくのことを決めます。
かっこよさなんて邪魔です。
もちろん誰もついてきてくれなかったり、誰も手を差し伸べたりしてくれなかったら不安です。
そのときは、かっこわるく助けを求めます。
めちゃくちゃかっこわるくあがいて、人に助けを乞います。
そうやって、自分勝手に、最低に、しかししぶとく生きます。
それしかもうできることがない。
ではdag.
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