やっぱり整理整頓は苦手

エントロピーが増えていくのがたまに我慢できなくなる、というのはぺんぎん氏らしいアカデミックな言い回しだなあと思って、つまりは無秩序にモノが散らかっていく状態に耐えられなくなる、ということなのだろうと思って、それもわかる気はするけれども、基本的にぼくはエントロピーを増やしていく人間である。

家の中での整理整頓だけでなく、仕事でも基本的に整理するのは苦手で、とにかくなんでもかんでも広げていって、かき回して、あっちにやったりこっちにやったりする。

物もよく、なくす。

ぼくはシャープペンシルに2Bの芯を入れて使うのだが、このシャープペンシルも、あっちで使ってほりっぱなし、こっちで使おうと思ったらないから買い足して、また別のところで買い足して、なんていうことをやってるのにシャープペンシルがなぜか一本も手元にない、みたいなことにもなる。

これについては、自分はシャープペンシルは1本しか持たない、ということを心に決めて、これを後生大事に持ち歩くようにしてからは、もう3年近くなくしていない(一度壊れて買い替えはしたけれど)ので、つまりは絶対になくすわけにはいかない、という強い気持ちが大事なのである。

ところで、この「シャーペンは1本しか持たない作戦」は、意外と色んな場面で有効で、「平日のシャツはこの5着だけを着まわす作戦」とか、「ヘアスタイルは基本的に変えない(ただし季節や気分によって多少長さを調整する)作戦」とか、「金曜日は基本的に自分のやりたい用事しかやらない作戦」など、もう自分にはこれしかないのだと背水の陣で臨むと、あっちにこっちにと気が散らず、ちょっとは落ち着いて行動できるようになる気がする。

それで、ぺんぎん氏からこんな質問をいただいて、

いま、いぬじん氏が好きなWebサービスってなんですか。あと、Webに限らずでもこのサービス(発明)はいいなというものはありますか

ということで、WEBサービスといえばやはり一番はじめに思いつくのはブログで、ぼくはROM専時代から「はてなダイアリー」ってのは面白い人がいっぱい書いてるなあとうっすら思っていたし、その後継サービスとしての「はてなブログ」は立ち上げ直後くらいに仕事で関わって、自分も個人ブログを書きはじめたこともあり、「はてなブログ」にはとにかく思い入れが深い。

しかしWEBに限らず、と言われるとまあ世の中には素晴らしいサービス、素晴らしい発明があるので数えきれないけれど、そういえばぼくはメールのやりとりも嫌いじゃないし、子どもの頃の交換日記も楽しかったし、あとは学級紙とか学年紙のような、先生から定期的に配布されるやつ、ぼくの文章はあれによく掲載してもらえることがあって、そういやその頃に、自分の書いたものをみんなに読んでもらえる喜びを味わってしまったのだ、などと思った。

あとは、思い出すたびにちょっと辛い気持ちとあたたかい気持ちの両方がよみがえってくるのが、通っていた駿台で、予備校生向けに発行されていた『アセント』という雑誌である。

なんせ読者は予備校生なので、目的は明確で、孤独な予備校生をなんとか元気づけようとか、勇気づけようとかいう意図がまっすぐに伝わってくる雑誌だった。

読者の投稿コーナーもあって、寝てしまいそうな自分をどう叱咤しているかとか、遊びたくなる欲望とどう戦っているかとか、まあそんなに面白いものではなかった気はするが、同じような辛い思いをしている人たちがいるんだと思うとホッとした気持ちになったものである。

予備校生というのは、いきなり高校でも大学でもない、なんの身分もない状態でパッと世界に放り出されてしまう。

そんな孤独を抱えて生きている若者に、君だけじゃないよ、他にも孤独な夜と戦っている人たちはいるんだよ、ということを『アセント』は感じさせてくれた。

ぼくはブログにも同じようなものを感じる。

この世界の中で、ぼくたち一人ひとりは孤独の中で生きていて、それはおそらくこれからも変わらないのだけれども、しかし同じように孤独に生きて、そこで感じたことを記事にしたためて、ボトルシップのようにインターネットの海へと流し、それがまったく関係のない誰かのもとに届く。

ぼくはそういう経験にずっと関心があるように思う。

それで、ぺんぎん氏に聞いてみたいことは、そうやって、まったくの偶然や誤配も含め、何かのメッセージを受け取ったことによって人生が(ちょっと)変わった経験はありますか、ということである。

ぼくにとってメッセージの最大の誤配は、コピーライターという言葉を、これをたまたま大学の図書館にあった「職業案内」という古い古い本の中で見つけてしまった、ということだろう。

もしあの誤配がなければ、一体いま自分は何をしていたのか、ちょっと想像もつかないが、しかしあの頃のぼくは、自分にとって大事な何かがふとした拍子に自分の前に現れることを期待していたように思う。

どこか遠いところへと行くためには、難しい理屈や完璧な理論ではなく、まったく違う世界からもたらされる、得体の知れない何かの存在が必要なのかもしれない。

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