コロニー その3

 (「なんだっけあの…風船の、アレの名前。」)

 彼女がそれを見たとき、はじめに思い浮かんだイメージは『ポリバルーン』だった。きれいにまあるくできずに、いくつも膨らませたいつかの記憶が想起される。ビニール樹脂が生む不自然なまでの虹色もそっくりで、机に並べた歪な風船たちが渚によみがえったみたいな感じがした。なにか物足りないのは、あの鼻に付く薬品臭がしないから。やはり見知った風船もどきとは別物なのだと我に返り、彼女は思い出のページをめくるのをやめた。
 彼らは海からやって来たものであり、それらを並べたのは波の仕業だと考えられるくらいの正気を保っていた彼女は、そのひとつひとつから生える青い触手のようなものを見つけると、これはクラゲの仲間かなあと目星をつけた。それに加えて、彼女は知っていたのだ。あの風船もどきはすぐにしぼんでしまうから、数百個も膨らませて置いておくのは絶対に無理だということを。
 月は照らせど夜。ただでさえ視認がむつかしい暗がりだ。生物の知識に明るくない彼女が“フウセンモドキ”の正体に近づくためには、いつでも青白い光で我々を導いてくれる、かの四辺形に助けを求めるほかない。ブラウザを起動しGoogleの検索ボックスに『風船_クラゲ』と打ち込むと、足元のそれに似た画像を探し始めた。ほどなくして、彼女は“フウセンモドキ”の実名を特定するに至る。

 “カツオノエボシ(鰹の烏帽子、学名:Physalia physalis、英名:Portuguese Man O' War)は、クダクラゲ目カツオノエボシ科 Physaliidae に属する刺胞動物。猛毒をもち電気クラゲの別名があり、刺されると強烈に痛む。刺されたヒトの死亡例もある。”(Wikipediaから引用)

 へんな名前だねえと呟きながら、かつおがこの烏帽子を頭にのせて回遊する姿を想像してみる。かわいいねえ。でもきっと痺れちゃうからたまにしか被れないだろうなあ。こどもみたいな妄想を繰り広げながらも彼女はページをスクロールし、彼らへの知識を深めていくのだった。堅苦しくも興味深いその文章を読み進めていくうちに、彼女はだんだんと眠たくなってくる。居眠り運転をしそうになりかけたそのとき、聞き覚えのある単語にぶつかったのだ。あれは確か…。

 「このひも状の生物はアオミドロ。複数の細胞から成る多細胞生物です。こっちの細長いのが単細胞生物のミカヅキモ。たった一つの細胞ですが、これでも立派に生きているんですよ。そしてこの丸いの、果肉ゼリーじゃないですよ。ボルボックスという藻のなかまで、ひとつひとつの小さな個体が群れを成し、この丸い“群体”を形作っているんです。」
 
 そう、生物の授業で習った“群体”だ。この言葉の定義に苦戦したときに負った傷跡は彼女の脳みそのしわとなり、深く刻まれていた。すなわち、眼前に転がるそれもまた“群体”なのであった。
 カツオノエボシは見かけに反し、実はクラゲの仲間ではない。無数のヒドロ虫が連なることで“カツオノエボシ”という現象を描いているのだ。

その4に続きます

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