コロニー その1

 彼女は手に下げたビニール袋から冷えた缶を取り出し、「おさけです」と書かれたその栓に指を掛ける。親指を引き上げると同時に響き渡るはずであった小気味良い炸裂音は、カンカンカン…と鳴り出した不協和音のリフレインで掻き消えた。

 彼女の黒髪が揺れる。がらんどうの終列車が風を引き連れ視界を流れてゆく。鉄と風の唸り声。その騒音がやがて雑音へと変わる頃に、隠れていた例の2和音が再び顔を覗かせるのだ。カンカンカン…それが止んでもまだ、彼女は過ぎ行く電車の後ろ姿をぼうっと見つめていた。遠ざかる彼の影をを。
 危険色の指揮棒が上がりきると、そこは静寂の支配地となる。ようやくここにも「夜」が訪れたのであった。それでもなお、彼女の耳の奥ではあの不安定な残響が続いていた。捉えどころのない焦燥を駆り立てるノイズを排除すべく、彼女は右手の缶ビールに口を付けた。少しのためらいの間をおいて、大きめの一口を流し込む。ごくん。誰にも聞かれていないからと、少し大げさに飲み込んでみた。休符で満ちた踏切で、音符がひとつ跳ねた。
 
 眠りにつく前の、意識が肉体から切り離されてゆく感覚。今この町が体験しているであろう快感。彼女もまた、350mlの辛口ラベルを通して、同じ類の恍惚を味わっているところであった。酔いとの挨拶を終え、ひとしきり打ち解けた後にやって来るは脱力の化身、睡魔。浮遊感のコンビネーションパンチに圧倒されつつも、彼女はその意識をリング上にしっかり留め置いている。なにしろ彼女は家路を辿る身に非ず、夜半の行き道を進む不審な観光客であるからだ。
 静まりかえった町を、彼女は南へ下っていく。適量のアルコールは雑念を消し去り、淡々とした足取りでもって彼女を目的地へと運ぶのである。まるでその行動が遺伝子に刻まれているかの如く、ごく自然な動機が彼女を突き動かしていた。

 (「海へ。」)

 まるで生まれたてのウミガメたちが、誰に教えられることもなく波打ち際に誘われるかのように。彼らが大海へ母の姿を見出すのと同様に、彼女も“母なる”海に母性を求めたのであろうか。そうだとするならば残念、無駄足だったと言うほかない。確かにこの海こそが始原の“母”であることは間違いないのだが…彼女(=海)の愛は、あまりに大きすぎるのだから。

 海はこの星に有機生命体を産み落としてから、永きにわたり我が子の成長を見守り続けている。はじめは微かな存在だったあの子が、今やこんなに大きく、大きく、大きく…。「大きく育ってほしい」それが“母”の願いであった。
 ここで言う“大きく”というのは、なにもブラキオサウルスやシロナガスクジラのような個体の巨大化を指してはいない。なぜなら彼女(=海)は「種」や「個体」という概念を持ち合わせていないからである。というのも、彼女は「私の産んだ子は生涯一人きりであり、今もなおその子が成長中である」と認識しているのだ。このことから、彼女が言う“大きく”の意味を導き出すことができよう。
 彼女が産んだ「細胞」は姿かたちを様々にしながら、地球上に広まりその「総量」を増やし続けている。つまり、彼女の意図する“大きく”は、「この惑星に棲まうあらゆる生物を構成する細胞総量の際限ない増加」のことなのである。そのスケールに従うならば、我々全ての有機生命体(その全てがわたしであり、あなたである)は文字通り“同胞”であり、海こそが唯一無二の“母”ということになる。

 “母”(=海)と、“子”(=細胞総量)。海が持つこの超惑星的生命観では「個体」のほかに観測し得ないものがもう一つある。それは「死」である。確かに、ある個体が死んでしまえば一時的に細胞総量は減るが、その“子”からしてみれば自身の一部分が欠損しただけに過ぎない。言うなれば、代謝なのだ。古くなったパーツを取り替えるだけ、そこに「死」という悲哀の介入する余地はないのである。そう、海は終わりなき輪廻の創造主でありながら、それを自覚してすらいないのだった。

 “母”の気まぐれで産み落とされた我々(わたし)は「いのち」と名付けられ、母の願いどおり“大きく”育った。その過程で、ヒトと呼ばれるという器官が誕生したのである。我々が生まれ、苦悩し、死んでいく。その意味を、その答えを、“母なる”海に求めようというのはやはり無理があったと結論付けねばならない。迷える自分を見下ろす視点をより高く、より遠くすればするほど、「自身は“群体”を構成するひとかたまりの細胞に過ぎない」との理解が深まるばかりなのだから。

その2に続きます

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