エアフォース1 その7

 我々は知っている、彼女の身を包むプルオーバーのパーカーの内側に起こった変化を。食事を平らげ体積を広げた胃袋が、彼女のおなかを膨らませていることを。そしてそのふくらみは細身のジーンズパンツに締め付けられており、彼女はいくらかの苦痛を感じてもいるということを。一方で、彼女の表情を占めるのは苦しみにも勝る多幸感であり、オーバーサイズの裏起毛素材に隠された真実に気付く者はいない。
 
 かさを増した腹部が影響してか、彼女は少し長めの食休みを執り行った。食休みと言えど、半日ぶりに投下された燃料を活力へと変えるべく、彼女の臓物は勤労に精を出している。彼女の脳もまた、iPhoneⅩが映し出す記号の有象無象を眺めるなどして情報収集に勤しんでいるようだ。
 星の数ほどある情報は流星群となって四辺形の端末に降り注ぎ、積もり積もった星々は広大な山脈を形成する。情報の星屑で構成された山々の放つ魔性の魅力は、我々の親指あるいは人差し指を勇壮な登山家たらしめるに余りあるものであるといえよう。もちろん彼女の右親指も例外ではなく、滑らかなる登山道を歩き始めているのであった。らうたげなる指先は、薄氷のような強化ガラスの地面を滑り落ちることなく登っていく。鮮度の落ちた情報群を踏みつけながら、最新という名の頂きを目指して。
 
 彼女が重い腰/腹を上げてお勘定場へと赴いたのは、指先登山家がふたつめのタイムライン山を登り切り、山頂にて異形の太陽を目撃してから間もなくのことであった(その太陽は現れると同時に回転を始め、ぱっという音を発し忽然と消えるのだ)。会計を済ませた彼女は、ぴかぴかの廊下をすり足で進んでゆく。鏡面加工のなせる低摩擦運動をちょっぴり楽しみながら。
 タッチスクリーンたる床板を靴下越しにスワイプしていたのも束の間、彼女はすぐに画面の縁へたどり着いてしまった。この廊下はさして大きなものではなかったようである…そう、今しがたポケットへしまわれたスマートフォンと同じように。そしてそのスマホに換わり、彼女の手中に収まるは木製の正方形。彼女はこの木札を握りしめながら一歩踏み出し、ひんやりとした土間へ降り立ったのであった。
 流れ込む外気に冷やされたすのこ板は、足裏の温度をじわじわと奪っていく。つま先が凍り付いてしまわぬうちに、手早くその身を覆ってやらねばならない。末端から届いた救難信号に応えるべく、彼女は掌の木札を幅広の鍵穴へ挿し込んだのである。
 
 …そうして今、靴箱の中へ光が射した。

その8(終)に続きます

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