コロニー その2

 (「海だ。」)

 彼女が右手に提げるアルミ缶は、その内容量を4分の1ほどまで減らしていた。そうして可動域を手に入れた辛口生ビールは、彼女の歩調に合わせて、ちゃぷん、ちゃぷんと揺れるのだ。その呑気な水音が別の水音に飲み込まれてしまうまで、そう時間はかからなかった。潮騒は穏やかに、しかし強かに響いている。斬鉄剣で袈裟斬りにしたような弦月をきれいに映す今宵の海は、運動不足の彼女の乱れた呼吸よりよほど静かであった。

 彼女は砂浜を見下ろす防波堤の縁に腰を下ろし、緩慢な潮風に吹かれてみる。からだの何処をも濡らすことなく、感傷にその身を浸すのであった。「この海は私の抱える憂鬱を、その肉体ごと押し流してしまうほどの力を持っている。だけれども、その汚れだけをきれいに濯ぐような器用さを持ち合わせはているのかしら?」などと考えているのだろうか、彼女の視線は地球の輪郭のあたりをを泳いでいた。そしてゆっくりと、たぶん平泳ぎでこちらへ戻ってくる。優雅な動きで月明かりにきらめく漣をかき分けすいすいと、思ったよりも早く岸へ辿り着いてしまった。泳ぎ切り、ひと仕事終えたふうの両目であったが、その上の瞼はなにか解せぬ様子でぱちくりしていた。
 彼女は、波がもう少し手前まで押し寄せているように感じていたのだった。半分の月が示すように今宵は干潮だから、渚は普段より奥に陣取っているべきであり、それは疑いようのない現象として彼女の目に映っていた。それならば、波打ち際の手前、本来砂浜であるはずの地帯できらめく“漣”は一体何だというのだ?目を凝らして観察してみると、確かに“煌めいて”はいるのだが、波の本質的要素である“揺らめき”が欠けていることに気付いた。静止する波。その正体を明かすべく、彼女は接近を試みるのであった。

 渚、それは“ふたつ”の世界が交差する地点。ここでいう“ふたつ”とは、なにも「海と陸」という物質的な二つを指すのみではない。「陸と海」、この余りある広大な領域を二分するという神業は、無限にも等しい意味合いを生じさせるに至ったのだ。
 「対となる二つの世界」これが“ふたつ”の意図するところである。無数の存在可能性から何を選び取り、阿形と吽形に宿すのか。対となる組み合わせはたった今も増殖を続ける。我々が渚を訪れ、何か思うのを止めない限り。

 彼女の目に映る“動かぬ波”は、渚の持つ「生と死」の境界線としての側面が色濃く発現したものであった。陸地に棲まう者にとって海の青は、海中に棲まう者にとって草木の緑は、ともに憧れの象徴としてその目に映えるがしかし、それは鮮やかな「死」の色でもあるのだ。その色に触れようと渚を一歩踏み越えれば襲い来る、呼吸すらままならない絶望。その先に待つのは諦観と、死のみである。
 生命維持の不可能性に阻まれた、無いものねだりの究極形。我々の抱く飽くなき欲望が、となりの“芝”を青く見せるのだろうか。憧れの青き世界より「生と死」の境界を越えて漂着したそれらは、死地であるとなりの“陸”を青く彩っていた。

その3に続きます

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