辛いチキンを立て掛ける場所

「辛いのが良んだよね」
隣の私に話しかけるというより、ひとりごとのように言って彼女は辛いチキンとカフェオレをレジに運んだ。それから、ほどよく温められたチキンと店員に感謝を述べてコンビニを出る。街路樹を通過した光が柔らかく射し、心地よく風がそよいでいる。今日は季節の変わり目に数日現れる「ちょうど良い日」だ。細い犬の散歩を横目にベンチを目指す。彼女は鞄のチャックを開けてカフェオレだけをしまい、チキンは握ったまま与太話をした。
「コンビニって駐車場含めてのコンビニだよね」
彼女が言うには、店舗の入り口につながる横断歩道のような横縞を通る所までがコンビニという体験の一部なのだそうだ。
「あれは横断歩道ではないんだけど、そこを歩かなきゃいけない気がする」
確かに、あの横縞はなんなのだろうか……そんなことを考えているうちに私たちはベンチに辿り着いた。
目的のベンチはやたらと広い公園の入り口に置かれている。普段は鳩とお爺さんに人気のベンチなのだが、今日はお爺さんはいないようだ。近づいても逃げる気配の全くない鳩の隙間を縫ってベンチに座り込む。
私がふうと一息ついている間に、彼女はもうチキンの袋を開けて近くのゴミ箱に捨てていた。小さく一口、暗い赤色のチキンを食む。目をぎゅっとつむった。辛そうだ。こっちまでよだれが出てきたな。
すると急に彼女は動きを止めた。次にあたりをキョロキョロ見渡して、手元のチキンを見つめて再度停止した。
彼女は何も言わない。カプサイシンが彼女の舌を刺激しているらしく、一筋の汗が額を伝っている。彼女がこちらを見た。そんな縋るような目をされても、そもそも何に困っているのか分からない。
「チキンを立て掛けたい」
申し訳なさそうに開かれた口から、意味不明の言葉が飛び出した。
「チキンを立て掛けられる場所を探したい」
2度聞いてもなお咀嚼しきれない言葉に、私は率直な疑問を投げかけるしかない。
「なんで?」
彼女は即答する。
「辛いから」
彼女の中では確かな理屈があるようなのだが、どうにも伝わってこない。このままでは埒があかないので、私は眼鏡をしっかりと掛け直してから言う。
「じゃあ探そう。辛いチキンを立てかける場所」
両手でチキンを固く握ったまま、彼女は頷いた。

私たちは公園の周囲をぐるっと囲む遊歩道を歩きながら、話を整理することにした。
彼女の言い分は要約するとこうだった。
辛いチキンを食べたので、先ほど購入したカフェオレを飲みたい。しかしカフェオレは鞄の中にしまってある。カバンのチャックを開けるには両手を自由にしなければならない。そのためには、チキンをどこかに置かねばならないが、食べ物を置いておける場所がどこにもない。
とのことである。

ここで、私は「チャックを片手で開けたら?」と言うことはいくらでもできた。実際、そう言えば彼女はある程度納得して私の案を実行し、問題は解決するだろう。だが、それでは彼女の真の目的である「チキンを立て掛ける」は達成されない。彼女はすでにカフェオレを飲みたいのではなく、チキンを立て掛けたいのだ。今日は時間もたっぷりあるし、何より日差しが気持ちいい。チキン立てを探したっていいじゃない。遊歩道の延々と続く同じ景色と、彼女のめちゃくちゃな話は私の感覚を麻痺させ、冷静な判断力を失わせていた。春の陽気にすっかり酔っている2人はキョロキョロあたりを見渡しながら、チキン立てを探す。食べ物を置いていい場所ってどこなんだろう。食べ物が触れていいのは、それを手に入れた段階ですでに食べ物が触れていた部分しかない気がする。つまりそれはチキンの入っていた袋の内側だ。だけど、それはとっくにゴミ箱の中だ。
「めちゃくちゃ清潔な壁とかないかな」
彼女がぼそっと言う。
「仮にあったとして、立て掛けたい?」
そう問いかけると、彼女はふっと上を見てから
「嫌だね」
と寂しそうに答えた。
遊歩道はまだまだ続くけれど、そろそろチキンが冷めてしまう。彼女が話しかけてくる。
「冷めた辛いものは、かなり嫌。辛さって熱だから、冷たいのに熱いものになる。それは冷えかけでドロドロのマグマみたいで、重い」
変な話を重ねないでくれ。もっと物事はシンプルでいい。例えば私が鞄からカフェオレを取ってあげるとか。というか、私がチキンを持てばいいじゃないか。そうすれば、彼女の両手は空く。頑なに場所を探してしまったせいで、こんな単純な事に気がつかなかった。
なんだか随分恥ずかしくなってきて、はにかみながら彼女にそのことを伝えた。すると彼女は隣に私がいる事に今まさに気がついたような顔をした後で、ふんわりと笑った。淡い光にぼんやりと浮かぶ輪郭が次の瞬間には消えてしまいそうだった。彼女はチキンを私に立てかけてから、タタッと前にかけて行って、こちらを振り返る。
「見つけた」
そう言って今度は力強くニッと笑って、私もつられて笑う。
こうして辛いチキンは立て掛けられた。
このお話の出演は、トーマス、ヘンリー、ゴードンとトップハムハット卿でした。

←これ書いてる途中は意味わかんなかったけど、後から天然JK×疲れたOLの百合として読んだら楽しかったです





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