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ふと、キリンに乗って旅をしようと思った。

ふと、キリンに乗って旅をしようと思った。
 ワニで通勤する毎日にはもう飽き飽きだったからだ。ワニの背中はゴツゴツしているし、地面に近くて非常に暑い。ワニの横腹をぷにとつついてから別れを告げる。ワニは瞬膜をパチクリさせて、のしのし沼地に帰って行った。これでキリンを迎え入れる準備が出来た。長い首、高い背中、慈しみ溢れる横顔を想像しながら家路に着いた。ふと玄関横のワニ留めが目に入る。真っ赤な空っぽの餌皿が主人の不在を訴えていた。私は雨にも怯まず突き進むワニに、何度助けられただろうか。別れ際に爬虫類の変わらないはずの表情が寂しげに見えたのは、本当は私が寂しいからなのではないだろうか。今更悔やんでも、緑とも灰色ともつかない体は淀んだ川にとっくのとうに消えていた。

 キリンの首は、思っていたより真っ直ぐピンと立っていなかった。でも、それ以外は想像した通りにカッコよかった。背中にまたがると目の前には、長い首を支える為に盛り上がった筋肉が張り詰めており、思わず抱きついてしまった。それから程よい長さのたてがみを撫でたり、網目模様に指を這わせたりしてみた。ああ、なんて幾何学的で超自然的なんだろうか。
「何卒よろしくお願いします」
キリンの背中に耽っていると、真上から声をかけられた。落ち着いていて、柔らかな低音だった。私は間違いなくキリンのものだろうと直感した。キリンが喋るなど聞いた事がないし、それに実際ワニは喋らなかった。でも、この声色と丁寧な言葉遣いは私の思うキリンにぴったりの喋り方だ。顔を上げると、キリンはこちらを向いて微笑んでいた。
「乗り心地はいかがでしょう」
その瞬間、キリンの広い視野が私だけに注がれていた。なんとなく、キリンにはきっと眼鏡が似合うだろうなと思った。後から見つめられた恥ずかしさがやって来て、私は目を逸らした。

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