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何かしら褒めるところを見つける話


自分の良いところなんて、言われないと気づかない。

前職の会社は、飲食店の多い街にあった。ある日、昼ごはんをどこで食べようかと探しながら歩いていると、一緒にいた会社の後輩の女の子から「あの喫茶店とかはどうですか?」と聞かれた。

そこは量は多いけれど美味しいというほどのことはない、普通の喫茶店だった。覚えている味を言うなら、ちょうど缶詰のトマトを温めたみたいな味のトマトソースパスタを出すところだった。

ぼくは時々その店にコーヒーを飲みに行っていたし、たった一杯で1時間くらいだらだらと長居させてもらっている恩を感じていたので、「美味しくはないからやめとこう」とは言いづらかった。

「あそこはね……味は普通やと思う。コーヒーも……普通に美味しいし。あとは……ソファ席があるんやけど、そこのソファがほんまにふっかふか。すごいよ」

後輩はとても頭がよく、察しのいい人でもあったのですぐに「じゃあもうちょっとウロウロして探しましょう」と、店の前を通り過ぎてくれた。ありがとう後輩。ごめんなさい喫茶店。

他の店を探すべく歩いていると、後輩は「なんか、いつも何かしら褒めようとしますよね」と言った。

料理のかわりに、ソファを褒めたことを言ってくれていた。

どちらかというと「何かから嫌われる」ことがあまりにも嫌で、バランスをとろうとしてしまう。それが、喫茶店のなかで働く店主には聞こえるはずのない、店前を通り過ぎながらのおしゃべりだとしても。

「あれ言わなきゃ」と思った言葉が多少マイナスの内容だったら、少しでもシーソーが並行になるようにと、逆側の指摘ができないかさがす。 特に飲食店に「良し!」とは言っても、「悪し……」とは言いづらい。

自分にとっては完全に「逃げの一手」「曖昧にする」なのだけれど、その時の後輩の口ぶりを聞くと、褒められる美点として受け止めてくれているみたいだった。

どんな部分が人に好かれるか、わからないもんだな……と思いつつ、脂っこさとボリュームが売りの焼肉ランチの店に入ろうとすると、後輩は立ち止まる。振り返ると、こちらを見る後輩に言われた。「そこは嫌」。ハッキリさせることも、大事だ。

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