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人生のガチャ

はじめに

皆様、こんにちわん。いぬころんです。

新年度も始まって1ヶ月が経とうとしています。
真新しい革靴の音が街の喧騒を盛り上げる季節です。

電車はいつもに増して混み合っていて、
新社会人をおしりで電車に詰め込む作業に
勤しんでいる今日この頃でございます。
(※悪いな新人君。痴漢冤罪防止ポジは死守するぜ。)

さて、サツキ病ちゃん足音が聞こえ始める季節になり
「配属ガチャ」「上司ガチャ」という、「人生のガチャ」の話題が
今年も目に留まりました。

〇〇ガチャ

スマホゲームによく見られるガチャシステムになぞらえ
自分の力では決められない出来事に対する風刺として、
予てから「親ガチャ」などの使用例があります。

今回は前述のポストの内容を受けた感想や
かねてから存在する「人生のガチャ」表現について
個人的な所感を述べていきたいと思います。

※見出し画像はスマホゲーム「Fate/Grand Order」の
 「もっとマンガで分かるFGO」より引用しております


「ガチャ」という表現の賛否

一般的な賛否の状況の考察

個人的な感触ですが、この人生における境遇を
「ガチャ」と表現する事に関しては
かなり賛否が別れています。

「ガチャという言葉を使って自分の責任ではなく運のせいにする」等
「環境や境遇が悪いから仕方がない」という思想を否定する場合、
恐らくガチャという表現を忌避する傾向にあるでしょう。

一方、ガチャという風刺表現を用いる方の多くは
「自らが恵まれていない」と感じている方が多いはずです。
恵まないからと必ずガチャ表現を肯定する訳では無いと思いますが、
ガチャ表現を忌避する方の意見を聞いた結果
「恵まれているからそんな事が言えるのだ」と感じる人であれば、
結果的に肯定否定のどちらかといえば
肯定側に回る傾向があるのだと思います。

いぬ自身のガチャ表現に対する賛否

では、いぬころん自身はこの「ガチャ表現」をどう思っているか。

正直、かなりツボを抑えた秀逸な表現だと感じます。
個人的には結構この表現が好きだったりするところもあります。

一般の方が受ける印象と同じかはわかりませんが、
いわゆる「運ゲー」と言いたいなら、ガチャという言葉を使わずとも
「くじ」や「福引」みたいな表現も考えうるものです。

もちろん、若者に馴染みがあり、中年の方でも解りやすく伝わる
スマホゲームのガチャになぞらえている為というのもあるのですが、
くじ等と違い「ガチャには好かれ悪かれ必ず得るものがある」のです。

くじはハズレを引けばハズレの中に価値の差はありません。
しかし、ガチャで言うハズレは沢山あるノーマルキャラから一つ、
何かを得るというシステムであり、何ももらえない事は基本ないのです。

さて、そう考えると今回の例にある「配属ガチャ」や「上司ガチャ」も
広い目で見ればいくらでも当たり外れはあるものですが、
何も得ないということはありえないんですね。
くじに外れて仕事を辞める若者はいますが、
配属先の運が悪いから「ハズレ~、クビね♡」とはなりません。

さて、では必ず何かは得るという前提で、
配属・上司ガチャのハズレとは何なのか?

この記事を書き始めたとき、隣で流れているニュース番組では
東海地方で同日に辞任した二人の町長の話題が報じられています。
度重なるハラスメントを理由に辞職したというものです。

ハラスメントという言葉も種類が増えすぎてカオスな状況ですが、
どのようなハラスメントがあったかと聞いていれば
「まぁそら告発されるわ」と思う要素はあるものです。

もうここまで来ると「上司ガチャの結果に文句言うな!」といっても
部下からクレームが来るのも無理ないわけです。

また、「親ガチャ」という言葉に目を向けてみると、
やはり親御さん世代からは「ケシカラン!」という声も聞こえます。

しかし世の中いろいろな親御さんは居るもので、
親のギャンブルの借金返済のためバイト代が持っていかれる、
そんな後輩が学生時代の僕の知り合いの中にもいたくらいです。
(※もう長く会っていませんが、最後にお会いした際に訊いたところ
大学を中退し、なんとか定職には就けたとのことでした。元気かなぁ…)

これをハズレガチャと表現することに対して、
「ケシカラン!」と言われればキレるのも無理はないと思うのです。

自分がその境遇になければ、いくら気にかけているつもりでも、
それがどれだけ過酷かを知ることはなかなか出来ないものです。
しかし、だからと言って口に出さないようにしていても、
決して無かったことにはなりません。

もし、人生にガチャという表現を使うことを「不適切」というのであれば
一度上記のようなことがあることは再認識しておきましょう。

それでも「ガチャという表現は悪だ!」というのであれば、
自分の見たもの、認めたもの以外は存在しないものだということにして、
現実を受け止めることが出来ない人間だということです。

僕にとって見れば、一番愚かに見える部類の人間です。

ガチャの勝ち負けの定義

前章にあるように、「どうしようもないこと」というのは
ある程度この世に存在するものです。
故に「ガチャ要素そのものを否定する」というのは
ある種現実を見ていないと言われても仕方ありません。

今回取り上げたメタルキングさんのポストを見ると
言うのは簡単」としているものの、「表現が不適切」とは
言っていないのもまた事実です。
むしろ「引いたものを当たりに変えるために努力せよ」と
ガチャという表現そのもののユーモアは認めつつ戒めています。

個人的にはこの意見には完全に一致ですので、
それも踏まえて「ガチャの勝ち負けの定義」を考えてみます。

ゲームを例に考えてみる

筆者のX(旧Twitter)アカウントのフォロワーさんはご存知かもしれませんが、
最近筆者は「モンスターストライク(モンスト)」をプレイし始めました。
アカウント自体は2ヶ月弱のものですが、以前7年ほどプレイしており、
実は結構ベテランです。

モンストにおいてもスマホゲームにつきものの「ガチャ」が存在します。
当然ガチャのキャラの中でもその時その時の環境において
強い/弱いキャラの評価が分かれます。

挑むクエストごとに攻略に適したキャラが違うことや、
「何をもって強いというのか」の基準はいくつかあるものですが、
攻略サイトに「最強キャラランキング」が掲載されているのを見ても
ある程度キャラに優劣があるということ自体は事実です。

そうなると、このガチャの勝ち負けを考えた時に
いわゆる「Sランクキャラを持っているか」を
基準に見ることはどうしても多くなってきます。

至極当然のことながら、この基準というのは正解です。
これを否定してしまっては、その環境でより優位に立つ努力を
怠っているに過ぎない
からです。

しかし、こうしたゲームのガチャで考えるのであれば
常に環境のトップランクのキャラを保持するには
引き運で量の差はあるものの、定期的にガチャを引く必要があり
無課金プレイではどうしても限界が訪れるのが常です。
課金をしても必ずトップ環境を守れるとは限りませんが、
無課金では非現実的になってしまうのですね。

そう考えると「何処に勝ち負けのラインを引くか」は
自分なりに定義を変えていく必要が出てきます。

筆者個人の考えになりますが、ガチャの勝ち負けのラインは
手に入れたキャラで全てのクエストを制覇出来る」です。
この目標も全くの課金なしに挑むのはかなり困難ですが、
「不可能だという根拠」は何処にもないのです。

言わずもがな、どんなクエストでも攻略の手順やコツは異なります。
しかし、時には一部その手順を飛ばして一撃で沈める「ワンパン」や、
ディフェンスをしながら反転攻勢に出る「ターン調整」等、
一つのクエストに対する攻略方法というのは一つではありません。
組める勝利の方程式は一つではないのです。

そうした場合、多くのクエストを様々なキャラで挑戦することによって
「そのステージに合わせた攻略方法」もさることながら
手持ちのキャラの力を引き出す方法」というものも身につきます。
これはA,Bランクのキャラに限らず、いわゆるSランクのキャラを
無理やり適性外クエストに使う場合に関しても同じことが言えるでしょう。

こうして自分のスキルを蓄え、それでも力及ばない場合に、
モンストの場合は特定のクエストをプレイすることで
所有キャラのステータスをアップさせるシステムがあります。

どのステータスを強化するかでそのキャラの性能は変わります。
もともと強い部分を強化すれば倍率的に良いのは当然ですが、
目的が決まっている人はその目的のために何を強化すればいいか
独自の判断能力を身につけることになっていきます。

この能力を駆使して強化を進めていくと
後に手に入れたキャラの強化方針や、そもそもどのガチャを引くかなど
そういう判断能力も身についてくる部分があるので、
結果、環境の変化に強いアカウントの運用ができるようになります。

そもそもゲームの勝ちとはステージクリアや対戦での勝利であり
ガチャの結果はそのための過程に過ぎないという部分もあります。
これを僕は常に意識しているという部分があります。

一方、ゲームはゲームであり楽しめることも重要です。
モンストの例として「艦隊遊び」があるでしょう。

仮にモンストをやったことがあるなら「〇〇艦隊」などのように、
特定のキャラクターのみで編成したパーティの動画を
一度は見たことがあると思います。

この場合、艦隊を組むキャラがガチャのキャラであれば
当然のごとくそのキャラを最低3体、できれば4体必要とします。
こうなってくると、クエストクリアとは別の目的が発生するので
ガチャの勝ち負けの基準が変わってくるんですね。

この様にゲームプレイでは目的が一概に一つとは言えませんので
ガチャの目標、勝ち負けの基準も前後することになります。

現実社会では?

先のゲームの例ではガチャを引く理由を2つ例示しました。

  1. クエストクリアに必要なキャラを仲間にするため

  2. 特定のパーティを組んで勝ち負けだけにとどまらず楽しむため

一方、現実社会のガチャはゲームと異なる点があります。

経済的・健康的な理由等でガチャの引ける引けないはあれど、
はじめにガチャ表現を使った人も恐らくそうであるように、
一定の条件を満たせば「必ず引くことになる」事です。

生まれることで親ガチャ、就学するうえで担任ガチャやクラスガチャ、
就職をすれば今回のような配属と上司のガチャが存在しますし、
フリーランスの方でもビジネスパートナーが変わるたびに
パートナーガチャを引いている部分もある様に思えます。

また、「引き直し」が出来ないこともゲームとの違いになるでしょう。
実際には転職などの様に引き直しに近い要素はあるのですが、
初めての職場を選び直せるわけではないので、ゲームのリセマラのように
完全な引き直しでは無いということです。

しかし、僕自身がゲームの目標に挙げるクエストクリアのように、
人生でも「何かを成し遂げる」ことは誰しも目指すことになります。

お金持ちになること、名誉を手に入れること、
困った人の助けになったり、社会貢献をすること。
成し遂げたいものは人によって違うと思いますが、
その目標を果たすためにはじめにガチャを引いているわけです。

前述の通り、ある種引き直しに近いものは存在するものの、
完全なリセマラになるガチャは現実には存在しません。
それを心に留めたうえで引き直す行為であれば無意味ではないでしょう。

転職に然り、新しいパートナー(恋人や配偶者)を見つけるに然り、
一度しかしてはいけないというルールはありませんので、
どうしても必要なものであれば引き直せばよいのです。

しかし、「自分が引き当てた物の本当の価値」は
その場ですぐに査定できるものではありません。
時は金なりと言いますが、多くの場合この「価値」を見極めるために
時間を使うことが大事だったりします。

その価値を見極める力が身につかなければ
一生どんなガチャも「爆死」と片付けて終わってしまいます。

冷静に考えれば10連ガチャを引けば10人も仲間になるのです。
それを爆死としていてはその10人を仲間と認めていないも同然ですし、
現実社会でそんな振る舞いをしている人に信頼は置けませんよね?

さて、メタルキングさんが唱える「当たりに変える」というのは
誰にでも出来るわけではないことでしょう。

その環境の中で、自分の中で確かな手応えを感じた成果を挙げたとしても
「上司が求めていた結果」を出せるとは限りません。

これは難しいもので、自分が出した成果の「これがすごい」と思うものは
その通りに評価されないこともよくある
ものです。
それは上司側にピンときていないものもあれば、
自分がセールスポイントとして伝えきれていない部分もあるでしょう。

しかし、自分が思い望んでいなかった環境の中でも
小さなものでも1つ2つと成果を挙げる事ができれば、
その全てが自分の自信、困った時に頼る唯一のバックボーンになります。

このバックボーンはガチャのどんな神引きにも代えがたい、
真に価値のあるものだと言うことです。
誰にもない、あなただけの、世界で1つだけの武器です。

最後に

新社会人の皆様は今回のメタルキングさんのポストを見て
どの様に感じたでしょうか?

厳しい意見でしょうか?激励でしょうか?啓発でしょうか?

一言で表すのにどのような言葉が相応しいのかはわかりませんが、
個人的には、新社会人の方々に向けてこういっているように見えます。

誰かに決められた道ではなく、自分の決めた道を行きなさい

自分の冴えない状況をガチャのせいにしないと決めてかかれば、
自分の責任として捉えるほかなくなります。

これは厳しい事を言っているように見えて、
実は誰しも本当は持っているはずの「自由」という権利を
存分に利用しているということ
でもあります。

自らが自由に決めて行動していることなので
誰かに横槍を入れられることなく自分で決断して起こした行動」です。
その結果プラスになれば自分の手柄ですが、
マイナスになれば自分の責任にほかなりません。

自分で責任を持って行動するということは負担に感じるかもしれませんが、
実は自分で責任を持つ事こそが、自分の自由につながっていくんですね。

入社してから何も教えられずに仕事ができる人はいません。

きちんとした研修を組む会社もあれば、
上司や先輩の協力のもの経験することなどで
仕事を覚えていく時間もあるでしょう。

ただ、どれだけ上司の指示に従い、レールの上を歩いているようでも、
その仕事をしているのは自分であり、今生きている人生は自分のものです。

前半で述べた通り、ガチャという要素は現実世界にも存在します。
そして少なからず当たり外れがあるもので、
人によっては引きたいガチャを引けないことすらあります。

大事なことは、そのガチャを引けるかどうかです。
そのガチャの結果どう感じるかは個人差はあるはずですが、
ガチャを引けた幸運を忘れない人は、そのガチャの結果を受けて
「引けてよかった!」と最後に言えるように努力するものです。

まだなにもないまっさらな社会人人生のキャンパス。
そのキャンパスに彩りを加えるために、まずガチャを引くことになります。
ガチャで決した環境と手に入れたツールで描いたものを見て、
その色合いが醜いと感じてしまった人も少なくないかもしれません。

ガチャで手に入れた絵の具の色が外れに感じすることもあるでしょう。
それらを混ぜて良いふうに見せようと工夫しても上手くいかなかったり、
何度も塗り重ねていくことでキャンパスがぼろぼろになってしまって
とてもじゃないけど綺麗とは言えない状況になることもあるかもしれない。

しかし、忘れないでください。
「綺麗なものだけが美しい」という道理は何処にもないのです。

自分に自信が持てないくて、沢山努力して、
目標にしていた人に少しずつ近づいたような気がしても
所詮自分は偽物であってその人が本物だと落ち込む人もいるでしょう。
しかし「偽物は本物に劣る」という道理も、やはり無いのです。

どんな経緯をたどっても、あなたが身に着けた強みはあなただけのもの。
あなたが抱える葛藤もあなただけのものです。
他人と同じにはなりたくてもなれません。

その事を忘れずに、自分には自信を。
そして、それを忘れないからこそ、他にリスペクトを。

皆様を応援しつつ、自らも精進し続けたい所存です。

付録(AI要約:面倒くさいならここを読め!)

今回の文章の要約です。
長すぎてchatGPT君に「あぁん!?短くしろや!!」と
怒られちゃいました(*ノω・*)テヘ

仕方ないので、章ごとに分けて要約させて、
最後にその要約をひとまとめにした文章を書かせたところ、
下記のようになりました。

筆者は「ガチャ」という言葉を用いた人生の偶然性や運命に関する議論について、ならびにその「ガチャ」における勝ち負けの定義について持論を述べています。

ゲームの例を挙げながら、無課金でも全てのクエストをクリアすることを目指す姿勢から得られる経験値や、ガチャで得たものの真の価値を見極めるスキル、それを活かして成果を挙げることの重要性を説いています。

最後には、新社会人に対して自分の決めた道を歩むことの大切さや、他者にリスペクトを示すことの重要性を説いた激励に結んでいます。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございましたm(_ _)mペコリーノ

記事をご覧頂きまして、まことにありがとうございます。 「缶コーヒーの差し入れ」くらいの気持ちでサポートをしてくれされば とても励みになります。