雨の日に思い出す友達。

雨が好きな友達がいた。
梅雨の時期になるとたまに思い出す。

それを聞いた時僕と友達は中学生だった。
あんまり理解できなかった。
雨が降ると気分は少し沈むような気がする。
雨で靴が濡れて、そのまま靴下に水が染み込むのは大嫌い。
学校に傘を持って行くのがめんどくさい。
体育が体育館になってバスケやドッジボールになるのは良いけど、部活がグラウンドでできなくて筋トレやら校内ジョグやら階段メニューになるのは嫌い。

野球部であった。
全然野球は好きじゃなかった。
今もぜんぜん。
たまにイチローのレーザービームやら筒香のホームランやらのまとめ映像とかをみるのは好き。
それ以外全く野球をみたりしない。
この前のWBCも日本が優勝して
「すごいなー!おめでとー!」
って思ったけど試合自体は1イニングもみていない。
みんながみてるからみたくないとかじゃなくて純粋に興味がない。
知識も正直ほぼ無い。
ルールとかある程度のセオリーはなんとなくわかるけど、例えば
「ツーボールワンストライク。この状況でこのピッチャーなら球種とコースはだいたいあれかこれでこの辺りに絞ってた方が良いだろう。」
みたいな野球をある程度していたら誰でも考えているような思考は全く無い。
軟球も硬球も同じように投げて打っていた。
軟球というのはゴムでできていて中身が空洞になっている。
硬球というのは簡単に説明すると中心にコルクとゴムでできた球があり、それを羊毛でぐるぐるぐるぐるー!と高密度に巻いて外側を牛革で包んである構造。
イメージがつかないと思うけど触感でいうと軟球は中学生でも片手で少し凹ませれるくらいの柔らかさ。
硬球は薄皮を巻いた石と思っていただけたら。
ゴムと石を同じように扱っていたってこと。
みんなそーやと思ってたら他の友達に聞くと全然違う感覚で取り組んでいたそう。
すごいなぁと。
まったくもってわからない。
また興味もない。
今考えるとよくそんなテキトーに10代の大部分の時間を使っていたなと思う。
ただ今思うともっと異常なのは、
好きでも興味もないことを小学生から高校までほぼ10年続けていたことだ。
正気の沙汰じゃない。
なんで続けたかって言うと
「友達に誘われたから」
としか言いようがない。
僕の地元はめちゃくちゃ田舎で保育園〜高校までずっと一緒みたいな友達が割といる。
そんな中で小学校から野球をしていると、休みの日も平日も同じ時間を共有する仲間が沢山できる。
小学校でも中学校でも「もー卒業したらやめよう」
って毎回思っていたけど、その度に友達が
「たろちゃんやろーや」
と声をかけてくれた。
こどもながらにそれってめちゃくちゃ有り難いことなんやなーて思ったのと誘ってくれたことが嬉しくて、
「んーーーーほなもーちょい頑張ってみるかぁ」
てな感じで中学校も高校も続けた。
もちろん親が野球用具を買ってくれたり送迎とかもしてくれたりめちゃくちゃサポートしていただいたから続けたことやけど、なんで続けたのかっていうと友達の存在が大きい。
地元は野球の強豪クラブチームがあったわけでもなく、地域のスポーツ少年団、中学の部活、高校野球と歳を重ねるごとにどんどんしんどい練習になっていくのは知っていたから、中学に行く前、特に高校野球をするかはめちゃくちゃ悩んだ。
明らかに今までにないくらいしんどい走り込みや筋トレがあるとわかってるにも関わらずその競技に1ミリも興味関心好奇心が無いから。
その時の判断のおかげで得たものと失ったものがあるけれど、なんだかんだで後悔はない。
得たものといえばある程度のことなら頑張れる根性と、あの時間を過ごした友達との繋がりがそれまでより強くなったこと。
失ったものは「好きなことをしよう」という発想。
「好きとか嫌いとか関係ない。ただただ目標のためにがむしゃらにやるのだ。」
っていう精神で野球に打ち込んでいたから、自分が何を好きで嫌いなのかってことは置いといて毎日毎日サボらず努力することしかしなかった。
そんなマインドでよー頑張ってたなと思うと同時にそれって異常なことやなぁとも思う。
そんな経験があるから今自分がこれや!ってモノに出逢えたことの嬉しさ有り難さはひとしおになったんやなぁとも思うし、得たものもなんだかんだで自分にとって大事なものにはなってるからさっきも言った通り後悔はないけども。

雨の日に野球のことを思い出すってことはとりたててなかったけど、文字におこして当時を振り返ると芋蔓式に友達と一緒に野球がひっついてきた。

雨の好きな友達は元気だろうか。
その話を聞いた時に、僕は一瞬でそのなんか人と違うような感覚がかっこいい!と思ってその一瞬の中の一瞬でさらに負けてはいられない!と思い咄嗟に
「小学校から歩いて帰ってる時に晴れてたのに急に土砂降りなってな、妹と友達と100メートルくらいダッシュしたねんけどそん時は謎にめちゃくちゃおもろかってんな。あと台風とか来て学校休みなったらテンション上がるし土砂降りの雨は好きやわ俺も!」
と自分も雨が好きな感覚わかるんだぜ!ってアピールしてみたけど、友達の返事は
「んーわたしはしとしと降ってるのが好きねんな」
だったから僕は
「ふーんそーなんや」
って言いながら内心ドヒャーーっと尻もちをついた気分だった。
自分では計り知れないような感覚を持っているんだこいつは。。。
今だと純粋に興味があってもっとその話を聞いてみたいと思うけどその時の自分は何故だかわからないけど悔しくてその話はもうしなかった。
中学生、高校生って自分は天才ではないってゆーレッテルをめちゃくちゃ貼られていく時期やと自分は思っているけど、あーゆーのもそういった類のものかもしれない。
徒競走で順位が出るような。
歌が下手だと言われるような。
自分より明らかに上手な、優れているものに出逢うようなあれ。
今なら自分に無いものを持ってる人に興味があったり、逆にそれによってザワザワする心を楽しんだりできるけど、あの時のなんともいえない絶望感は中々味わえなかったりする。

そんないろんな感情をくれたあの友達は今日も雨を喜んでいるんだろうか。
どっちでも良いけどそうだったら少し嬉しい。

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