八十九年うまれのくせに


思い出してしまうあの女の顔はいつもしたり顔で笑っていた。料理も上手で母親からうまく逃げ出し、一人の男に人生を捧げる気でいた。愛する男を手にいれてそばにおきたい男も手に入れた。八十九年生まれのくせに。

半円の近未来の中であの女は笑っていた。仕事も家庭も手に余るほど手にいれて、笑って心配する男も手に入れて、隙間の街の隙間を埋めていた。小さなシャベルでせっせと土のうを積み上げて、そんなもので埋まるはずないと笑ってやっても、しかし女のそばには二人の男がいた

伝染病は寂しさと名乗って一軒一軒まわり、私の家は黄緑色に腐敗して蟻の粒が散々舞って、本やらティーシャツやらお茶碗やら何もなかったことになる。あの女はそんな私を哀れんで、煮物を作って笑顔で持ってきたりする。あの女の家にも向かったはずの八十九年生まれを媒体とした病原体。私の右手と彼女の右手、何が違って何が一緒なのだろう。

八十九年生まれのくせに、この近未来を無かったことにした。八十九年生まれのくせに、ちいさな家で子供を生んだ。八十九年生まれのくせに、世間に飲まれて楽しそう。八十九年生まれのくせに、私はアスファルトを舐めて泣いた。    

#詩

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