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死にたい夜に

死にたい夜にスーパーはダメだ、と思う。

私はただ、明日の朝に食べる林檎を二つ買うだけのためにスーパーに入ったのに、蛍光灯の明かりはらんらんと輝いて、壁も床も真っ白で、何処を見渡しても食べ物がうずたかく積まれていて、私はただ、林檎を二つだけ、みすぼらしい生活をするための林檎を二つだけ、買いたかっただけなのに。スーパーは私の生活を脅かすように沢山の品物を並べ、肉やら野菜やら、冷凍食品やら生活雑貨やらをこれでもかと売っていて、並ぶ数字は私の貧相な生活を更に脅かす。

ただ林檎だけをみて、林檎だけを買い、そのままさっと出て行けばよかったのに、たまたま入ったその大きなスーパーに、私は圧倒されてしまった。皆緑色のカゴを片手にあれやこれやを物色し、数字の羅列を気にすることなく、さも簡単そうにカゴの中に様々なものをいれていく。

死なないための二つの林檎は、私の右手と左手を占拠して、真っ赤な色で私を見上げている。明日へつなげるためのこの果物だけが、異様な空間の中で、私と現実とをようやく繫げているようだ。

寒い冬の死にたい夜に、かろうじて生きるための二つの林檎。今すぐレジに並んで、この空間から脱して、あの狭いアパートに帰り、薬を二錠飲んで、横になれば明日になる。明日になれば林檎をかじり、林檎を持って会社にいける。この夜を越すための真っ赤な林檎を、私は買いたかっただけなのに。

視界に誰も入らないように下を向いても、真っ白な床が私の影を映し出して笑っていた。私はただ、私の小さな世界の、私の小さな世界で私を取り巻いてくれる人たちが、幸せになってくれればそれでいい。私はどうとでもなるのだから、とにかくこの小さな世界で笑っていればそれでいいのに、世界は大きくても小さくても、容赦がないのだ。ただそれだけが悲しかった。

死にたい夜にかろうじて歩く私の後姿などどうだってよく、あの人やあの子が今穏やかな気持ちであれば、廻る環の中で楽しくいれれば、それでいい。金と生活に脅かされて、菓子祭のあの人みたいになってはいけない。それは誰かを傷つけて、小さな世界を脅かす。

白い床が次第に傾き、私は首を落としてようやく歩いた。レジに向かうと背の高いお爺さんがお弁当やビールを沢山買い込んで、一万円札を払っていた。おつりもレシートもいらないと言って、化粧の濃いアルバイトの高校生は嬉しそうに笑っていた。

二つの林檎は百五十円ぴったりで、この百五十円で私は死にたい夜を越す準備をした。スーパーを出て夜空を見上げれば何も変わることも無く、あの小さなアパートで、死にたい夜を懸命に越していくのだ。


#詩


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