鉄塔の町 11

 何も知らずに鉄塔のそばで生き続けていた私、最初から全てを知って鉄塔にすすられた母、食いつぶされるのを知ってそれでも母のそばにいた父、途中からやってきて私達家族を憎しみ続けるネリ、全てを知っているかのように私の記憶を持ち去ったサトウ君。

海のそばにある山を壁のようにして、ひっそりと息をし続ける田舎町、を、守り続ける鉄塔。逃げなさいと誰かがなんども私の中で叫び、しかしその度に浮かぶ空っぽになってしまった母の肉体。母はもうあの美味しい料理やケーキを作ってはくれないし、紅茶やコーヒーをいれてくれない。私がタバコを吸っても怒らない。一点を見つめて、何かをぼやぼやと喋っている。私はそんな母を見つめながら、ひとりで二人分のコーヒーを入れて話しかけてみる。返事はあるが、それは誰に対しての言葉かわからない。父への懺悔にも聞こえるし、昔の他愛ない母の言葉のようにも聞こえる。

父はよく休みの日にドライブに連れて行ってくれた。海岸線を走って田舎町を囲む山を越えて隣の町まで行き、きまった喫茶店で私はパフェを、父はコーヒーを飲んで帰る。だいたいそうなると帰りは夕方で、母が美味しい夜ご飯の準備をしていた。あまり遠くへ連れて行ってもらった記憶はないし、母と三人で隣町まで行ったことはなかった。私を家から連れ出して、その間に母は鉄塔のもとへ通っていたのかもしれない。父のいない今、もはや推測でしかないけれど、そういった時にしかこの町を出たことがなかった。鉄塔が鎮座する海沿いの田舎町は傷むことを知らない大きな壁に取り囲まれて、私はそのまま大きくなってしまった。

父は車の中で家ではあまりしない話をしてくれた。父には姉がいて、その姉が東京に住んでいること。その姉には子供がいて私と年がそんなに変わらないこと。いつかお前を連れておばちゃんに会いに行こうね、とハンドルを握りながら父はよく言っていた。親戚の類に会ったことのない私は、顔も見たことがない伯母やいとこを想像して、会ってみたいと返事をした。伯母たちがこちらに来たこともなければ、私たちが東京に出向くことはなかった。たまに母や私に隠れてこっそりと電話をしているようだったけど、本当にそれくらいで、結局会うことも知ることもできないままに、父は消えてしまった。

父から聞かされていたのは、母は生まれも育ちもこの田舎町で、いっとき東京で暮らしていたこともあったが、父との結婚を機に母の故郷へ戻ってきたのだという。それも車の中で父から聞いた話だった。半ば強引に連れられるようにやってきたんだと、笑いながら話していた。その時私はまだ小さかったから、ただ事実を事実として聞くことしかできなかったが、結婚以来父はこの町から東京へ行ったことはないような気がした。父の故郷がどこなのか、それすら知らない。今となっては推測にしかならないが、母はこの町以外の人間や場所を避けているような気がした。

この田舎町は強力な磁石になっていて、一度出ても必ず戻ってきてしまうような、増えることもなければ減ることもないような、そのような町だった。だから母も父も、ネリを侵入者のような扱いをして忌み嫌ったのかもしれない。ネリに聞く気は起きないし、サトウ君なら知っているかもしれないが、彼はこの町にいない。

海沿いの町はいつも潮風のにおいが充満している。電車に乗ってどこかへ行き、戻ってきたときに一番感じる。あの粘っこい身体中にまとわりつくような海風の潮、改札からコンビニ、自動販売機の中まで浸透し、いつまでもつかんで離さない。ドライブに行くとき、海岸線で窓を開けることを決して許さなかった父は、車の中までこの田舎町で充満させてしまうのが嫌だったのかもしれない。都合のいい解釈だろうか。それでも鎮座する鉄塔に対して、最終的に一番の反逆を行ったのはきっと父だ。私にはできないと断言できる。父は父だった、そして男だった。正解かはわからないが、父は父の物語を完結させたのだ。

父は鉄塔の足元で銀色にもたれるように結末を迎えた。最初に見つけたのは母で、それを私に伝えに来たのはネリだった。一方的に何かを告げられてネリは我が家を去り、母は一切の表情を崩さずに家に戻ってきて、私に伝えた。父は父として完結して、私とあなたの二人きりよ、と。父には姉がいるんじゃなかったろうか、二人きりではないんじゃないか、なんて思ったりもしたが、十四五歳の子供に何ができてなにを思えるかというと、それは限られていた。母の言葉を受け取り、何もかもが過ぎ去るのを待ち、平穏がやってくると信じていた。均衡が崩れてしまったことを、私も母も気づけなかった。父という存在を埋めるものは、ここにはなにもなかったのだ。  


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