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私が妖怪を描かなくなった理由

~小さな大妖怪の来訪~

妖怪絵師
十代の頃より買い集めた妖怪に関する様々な資料が、今では本棚でほこりをかぶっている。以前の私は「妖怪絵師」として妖怪の絵を描く表現活動を行っていたが、今はあまり精力的に行っていない。今回は妻と一緒に暮らし始めて急に増えた心霊現象と、なぜ私があまり妖怪を描かなくなったかについて記していこうと思う。

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十年近く前の写真。
以前は『百犬庵 戌一』として妖怪イベントなどに出展していた。
ちなみに『百犬庵』は屋号『戌一』は今も使っている作家名である。

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随分前に描いた『ミックスナッツの百鬼夜行』

鬼門にある玄関
いきなり話は変わるが、私の母親は親類縁者から「鬼」と呼ばれ恐れられており、その気性の荒さに幼少期の私は随分と苦しめられていた。しかしある時ふと、我が家の玄関が鬼門に位置していることに気付いて以来、私は実母の人間性に関する原因を無理矢理その方角に見い出し、自分なりに納得するようになった。「きっと本来はまともなんだけど、玄関から鬼が来て母の中に入ったんだな」と。少し気が滅入る話かもしれないが、妻の呼称に関する前提条件として必要な情報だったので、あえて書かせていただいた。

第二の鬼
そして時は流れ、私の世代では妻という「小さな鬼」が鬼門をくぐってやってきた。この場合は「妻の中に鬼が入った」というよりも「妻自身が鬼」という解釈である。気性が荒い母とは違うタイプだが、当時の妻には「鬼」の名に恥じぬエキセントリックな行動が目立っており、その頃の私は「また鬼か……」という諦めに似た感情を抱いていた。そして以来数年間、私は愛着を込めて妻のことを『小鬼』と呼んでおり、本人もそれを受け入れ、妖怪仕事の際は『百犬庵 小鬼』という活動名を用いていた。妻の発言をまとめたTwitterの『小鬼@ko_oni_bot』のアカウント名はその名残である。

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当時我々のユニフォームだったツナギにも『百犬庵 小鬼』の刺繍が。

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私が妻のために作ってプレゼントした背負子(しょいこ)。

心霊現象
『小鬼』は獣のように奔放な性格に加え、いわゆる「霊感」というものまで標準装備していた。そして、それまで皆無であったにも関わらず『小鬼』来訪以降頻発する心霊現象に、私は毎回大いに驚かされ、自身の発狂を疑いながらも少しずつ順応していった。以下に記載できる範囲で、私が印象的だったエピソードを挙げていきたい。

髪の毛
京都のある妖怪イベントに出店するため、ラブホテルを改装したであろう安宿に泊まっていた時の話。これから寝ようという時に、妻が「あっ!」と声を上げたので「なに?忘れ物?」と聞いてみたが、頑なに答えようとしない。その様子に忘れ物だと決めつけた私は「教えてよ!足りん物があったら買えばええんやから!」としつこく問いただしたところ、妻は早口で「長い髪の毛がカーテンから降りてきたけど声を出したら消えたからもういい」と答えた。心底聞いたことを後悔した。しかしこの時は「妻の頭がおかしいだけかもしれない」とも思っていた。いや、そう思いたかった。私はまだ何も見えていなかったし、何も感じていなかったから。

短いトンネル
妻の実家の近くを歩いていた時の話。高架下に差し掛かった際、妻が「このトンネルおばけでるよ」とつぶやいた。トンネルといっても向こうが見えるほど短く、作りも新しくて全く怖い感じはしなかったので、平気だろうと高を括った私が「全然そんな雰囲気じゃないやん!」などと言いながら通り過ぎた瞬間、背筋にゾクゾクっと感じたことがないほどの悪寒が走った。目が合った妻に「ねっ」と言われて、何やら妻まで怖かったことを憶えている。そしてこの日を境に、私まで具体的に霊的な存在を感じ取るようになってしまったのである。

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通過する前に撮っておいた写真。
今見返すとそれなりに不気味。

人形のまばたき
お化け屋敷の美術監督としてある地方都市に呼ばれ、一か月ほど住み込みで働いていた時の話。美術監督。何やら偉そうな響きではあるが、実際ふたを開けてみれば監督とは名ばかりで、その手足となるはずの美術スタッフは一人もおらず(※1)朝から晩まで妻とほぼ二人で巨大なお化け屋敷を作り続けていた。しかし悪戦苦闘しながらも作業は終盤に差し掛かり、プロデューサーがどこからか集めてきたという、いわくつきの日本人形などが屋敷内に並び始めた。そこで我々はほんの気休めではあるが、毎日作業終了後に人形にお経を上げていたのだが、ある時人形がまばたきをしているように見えたことがあった。妻が怖がるといけないので黙っていたが、妻の方から「さっきあの子まばたきしてたよね」と言われ、私の方が震え上がった。とうとう私にも見え始めてしまった。

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別の現場の写真だが、当時はヘトヘトになってこんな仕事ばかりしていた。

妻の勘の鋭さ
以上は全て『小鬼』来訪以降短い期間内に起こった出来事であり「見えない→感じる→見える」と変化したきっかけのエピソードを並べてみた。それ以降は心霊現象が定着してしまったためまだまだ体験談はあるのだが、他の話に関してはプライバシーに関する内容も含まれてくるので、この場では当たり障りのない上記に留めさせていただく。以降は妻の、鋭すぎてもはや超能力に近い「勘」について言及していきたい。

お知らせ
ポストに投函されていたハガキを私が見ていると、妻が「何のハガキ?」と尋ねてきた。私が「えーと、なんか『引っ越しました』ってお知らせみたい」と答えると、妻は「◯◯さんか」と言うので宛名を見ると、まさにその人からだった。もちろんただの偶然だといえなくもないが、長らく疎遠であったその方の名前をぴたりと言い当てたことに、当時の私は驚かされたものだ。しかし似たようなやりとりが頻繁に交わされるうちに、今では私もすっかり慣れてしまった。

透視?能力
しかしただの勘の鋭さでは説明できないことも。ある時、二人とも初対面だった女性との会話中、急に妻が笑い出したことがある。「えっ?なんですか?」といぶかる女性。すると妻は「すみません!頭の横に『船場◯兆』って文字が浮かんでいたので!」と笑いながら答えたところ、その女性は青ざめ「えっ!すごい!私のお母さん、そこで働いてる!」と答え、その場にいた全員が言葉を失ったことがある。家族の職場を透視。役に立つのか立たないのかよくわからない能力ではあるが、具体的に「何か」が見えることもあるようだ。

霊感のルーツ
またいつもの流れになるかもしれないが、妻の実家にその能力のルーツを求めることにしよう。まあ結論から言うと、妻の家族もみんな「何かしら見える」のである。当たり前のように「昨日ばあちゃん(故人)が来た」とか「夜に大勢(霊的な何か)がお鈴を鳴らしながら家の周りに来てたよね」などと話し合っていて、私はいつも異世界に迷い込んでしまったような錯覚に陥ってしまうのである。

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妻の実家。
しかしこの環境だと、霊が見える方が自然な気すらしてくる。

お盆
妻がお盆に帰省すると言うので「じゃあ俺はたまった仕事を片付けとくよ」と答えると「帰らなくていいの?先祖に会えなくていいの?」と本気で心配された。気になって「先祖に会うってお墓詣りの比喩?それとも具体的に霊と会えるってこと?会えるのならどういう状態で会うの?」と、頭に浮かんだ疑問を全部ぶつけてみた。すると妻からは「お盆に実家に帰ると死んだ先祖が普通に座ってる」という衝撃的な返答が。「どっどこに!?」と取り乱す私に対し、妻は「食卓とか。お墓とか」と平然と答えた。その言に従って久しぶりに帰省してみると……その年はいつもと違った。自己暗示も過分にあるのだろうが、故人と対話するやたらとリアルな夢を立て続けに見ることができたのである。あれほど充実感のある、そして本来の目的に則ったお盆は、私にとっては初めての体験だった。しかし妻は毎年、私が感じたよりも遥かに解像度の高いお盆を過ごしているということである。妻がどんなに忙しくても、毎年律儀に帰省する理由がやっとわかった。

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毎年丁寧にご先祖様をお迎えしているという妻の実家。

価値観の変化
心霊現象をはじめとしたあらゆる怪異は「共同幻想」だと何かの本で読んだことがある。また、いわゆる「見える人」と一緒にいると、それまで「見えなかった人」まで見えるようになるとも。集団ヒステリー、脳の異常、精神疾患、共依存など、いろんな可能性を考慮し、自分なりに結構な数の専門書を読んだりもしたが、明確な答えは出なかった。しかしいずれにせよ、私が「主観としてその現象を認識している」という事実だけは確かである。そしてふと気がつくと、私が妖怪のことを考える時間は激減していた。かつてはそこにある種の恐怖を見い出し、自身の美術表現に落とし込んでもいたのだが、リアルな恐怖体験や不思議な体験には及ぶべくもない。そして、それまで楽しめていた妖怪という懐古趣味的な恐怖を、私は楽しむ余裕がなくなってしまっていたのである。

小さな大妖怪
しかし、いわゆる「妖怪」の絵はあまり描かなくなったものの、実は今の方が本来の意味で「妖怪絵師」に近いという見方もできるかもしれない。身近にいる我が家の『小鬼』を観察し発信することが、きっと私にとっては最新で最高の妖怪表現なのだろう。タイトルに反する結びになってしまうが、これからも妻という『小さな大妖怪』を、いろんな意味で描き続けていきたいと思っている。

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一番最近私が描いた妻の絵。
妻のスタジオのフライヤーそして看板としても使用してもらっている。

以前書いた記事もぜひ合わせてご覧ください。

※1 お化け屋敷の内装作業を手伝ってくださった地域のボランティアの方々には、今でも本当に感謝しております。

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