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 きちんと仲直りをする、という機会は22年間でまあそこそこにあった。でも、これってね、よく考えたらすごいの。お互い許せないことがあって、それでもまたあの子とお話したいが勝って、向き合っていく心の変化。心の移り変わりは、喜ばしいも悲しいも多かれ少なかれ体力を使うし、思考を止めればそれまで。止められなくて、止めたくなくて、また考えては空想して、動いて、また元に戻る。
 私を、水のようだと言った人がいる。それに次いで思い出した、「君の名は。」のセリフ。

土地の氏神様をな、古い言葉で結びとよぶんやさ。
この言葉には深い意味がある。

糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、
時間が流れることも結び。 全部神様の力や。 

わしらの作る組紐も、せやから神様の技、
時間の流れそのものを表しとる。

これが語られる時、川の水に紅葉が流れていくシーンが入る。今何となく、そのシーンが過ぎって、結び を思い出した。

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 数年、仲違いしたままの子がいた。言うなれば昔の恋人。いざこざがあってェ〜というより、私がひっちゃかめっちゃか掻き回して強制終了させた、あの嫌な別れから時間は止まっていた。もう関わることもない、と見切り発車だったが、大分という街はこれでもかというほど狭い。この数年後、自分が発車させた列車に、自分が轢かれることになるなんて誰も、私も、知らずにいた。転がった首から出たのは諦めじゃなく、「次の駅へ行きたい」、だったものだから、絶えることはなかった。でもこれは、昔よりもおとなになってから長らく呟き続けていたのだ。また関わることになって気まずいから、よりも前に。
 彼もまた、同じ時期に同じ頭でいた。人間関係見直しプロジェクトが始動して、割と短いスパンで今日に致る、と話してくれた。

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 数年越しに会った彼は、容姿こそ変わったが、穏やかで面白いもの好きなのは変わっていなかった。顔を合わせる前、何から話そう、どんな顔すればいいんだろう、また罵り合いにならないといいな、なんてグルグルしていたけれど、杞憂だった。お互いの近況報告がほとんどで、ぎくしゃくも無くて。ソフトに、あん時はごめんやでぇなノリでごめんなさいっこしたけど、それも一瞬だった。なんならその後飲み行ったし。私は残って朝まで飲んだし。ご機嫌な朝だし。

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 こうして、またお話しましょう、結びましょう、と顔を合わせて話せる日が来ると思っていなかった。単なる願いで、私の自己都合自己満足で、叶わないと思っていた。話がしたい、と持ちかけたし、動きに移したけれども、相手の心がそっぽ向くなら仕方ないから。私と関わらなきゃ死ぬわけじゃない、恨まれたまま恨んだまま生きてくのだってそれもまた道で。なのに、あの日切ったはずの糸の端が、また伸びていく。都度書くけれど、これはほんとうに凄まじいこと。私は私を上げるつもりはないけど(多少は褒めてあげるけど)、何より彼の心の動きに頭が上がらないでいる。書き出せばきりがないほど、彼にひどいことばかりをしたし、振り回したし、それどころかろくに別れ話もしなかった、させなかった。私の知る彼は、嫌いな人はとことん嫌いだったから。お互い、大人になったんだと、何本も煙草を吸いながら1時間ふたりで話をした。

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 彼に限ったことじゃないけれど、私を助けてくれる人や好いてくれる人を、理不尽な心の動きなんかで、切りつけるのはもうしない。そんなことより絶対、一緒にご飯食べたりお酒飲んだりしてた方が楽しいもんね。許さない、とめらめら燃ゆる心引っさげても、私が疲れるだけ。きらいきらいうっとうしい消えればいいのに、の皮を剥いだ心で、楽しいことをしよう。えらそうなことを誰かに言えるほど出来た人間じゃないけど、ごめんねとありがとうだけは忘れちゃいけないね。驕らないこと、私たちは対等であることも。
 
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 寄り集まって、形を作って、捻れて絡まって、時には戻って、また繋がって。それが結び、それが時間。