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劇薬

近しい人の輪郭が思い出せなくなる時が恐ろしくて、ぎゅっと目を閉じる。黒目の真ん中を泳いで、泳いで、泳いで、それでも思い出せない。目を開けるより少し前に目尻が濡れる。そんなことがもう、無ければいいのにね。

だいすきって言ったらだいすきが返ってくる。会いたいって言ったら会いたいが返ってくる、あわよくば会ってくれる。こんな人たちと紡ぐ生活が、どっかなんか寂しいのは、己の影が私をずっと見つめているから。

「またそうやって大切に想いすぎたら、煙たがられてお終いでしょう。」

ばかじゃないの、と凄んだとて影が言うソレは過去にあったことで。それも1度や2度の話じゃなくて。

友達でもなんでもこの人大事だ、と思ったらもう大変。あなたで頭いっぱいになるし、誕生日はすぐ覚えるし、遊ぼってすぐ言うし、言われれば乗っかるし、あなたを傷つける人は許せないし、ずっと笑っていてほしいし。ひとりひとりにそう思ってる、思いすぎてる。

だから、なんか、いつか、ひびが入って割れちゃって、戻らなくなる日が来るんじゃないかって。

円滑な人付き合いが凄まじく苦手だった数年前は、友達も彼氏も乗り換えるように作っていた。だからその分、ひびが入るあの瞬間の、一気に空気が冷える感じに敏感になってしまった。心が割れる音を聞いた日を、自戒として思い出すようになってしまった。

積乱雲みたいね。気持ちばかりが大きくなって、何かの弾みで大雨になる。泥酔の果てに大泣きするのは、こういうことかもしれない。

日常に死生観がまとわりついているのはもう10年くらいそうだけど、これもそう。あなたがいなくなることが、たまらなく、嫌。死ぬまで私と一緒にいてくれなきゃ、嫌だ、ほんとうは。普段言わないだけ、あるいは言えないだけで。あなたの好きにしたらいいんだよ、なんて言うくせして、全然そんなことないのに。寂しがりと人好きが絡まって、自分の首を絞めちゃいないか、わからなくなる。

凄まじい熱量で、曇りなき言葉で、あなたが大切だと言われる時は「今だけなのかも、しれない」なんて思ってしまう。捻くれすぎているのは重々承知だけれど、咄嗟にこの思考が浮かぶのは、もう傷つきたくないゆえの自衛で。ありのまま、あなたからのきもちを受け取れないでいる、未だに。

寂しさが先走って私を振り回す前に、言葉を持たせて整頓する。春めいたかわいい文章を書きたいんだけどな、そろそろ。私には雨の夜みたいな文章しか書けないかもしれない。


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