浅葱

毎年、夏の時期に思い出す人がいる。人生最後の片思いをした人のこと。もう連絡先も知らない、きっとこの先も交わらない人のこと。未練なんて無いし、結婚したし、そういうのじゃなくて。あー、好きだったなあ、と浮かべる。結果論でしかないけど、好きって言えばよかった、かもと思う。彼が好きだったバンドはかわらず好きだし、俺この曲が1番好きなんだよね と教えてくれた曲には彼がこびりついているし、その度に己の女々しさを知る。好きだった、ただそれだけ。そこで終わり、それでいい、それがいいの。

だからね、というかなんというか。またニュアンスは違ってくるけれど、好きな人には好きって言わなきゃと、改めて思い直した。間に合わなくなるから、その手の話でもう何度も痛い目を見てきたから。思考に絡まって、心が捻れて意地張って、布団の中が海になった夜があっても、「けどあたし、あの人がいなきゃ寂しい」に行き着く。どうしてこんなにかまってちゃんなんだろう、と自己嫌悪に陥るけれど、最近気づいた。だれかを思って寂しくなるのは、私の中の「好き」の形なのかも、と。だから、寂しいよーー!(;;)に気づいてほしい伝わってほしい、と傲慢になるのかも、と。どうだろ。

好きってなんだろ、大事ってなんだろ、と考える時間の質が高くなった。数年前は、寂しさに囚われすぎていたし、今よりもっと自分が好きじゃなくて他人を想うふりして自分を守るので手一杯だったし。今はあの頃より違う、はず。たぶん。

考えたことがとっちらかってしまったので、これは書き散らしとします。脈絡はあるようでないかも。

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