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「キャリア甲子園2020」準決勝に参加して、自分たちの最適解に辿り着いた話


【私たちの夏が、終わりました】

 
昨日、オンラインで「キャリア甲子園2020」の準決勝が行われました。
 
本当は東京で開催される予定だったのだけど、緊急事態宣言が解除されない影響もあり、オンラインでの開催となりました。
 
去年からずっと高校2年生の生徒たちとプランを練り上げ、書類審査、動画審査を通過しての準決勝。
6テーマごとに8チームが勝ち残っており、準決勝はテーマチャンピオンを決める戦いです。
キャリア甲子園では、この準決勝が1番の「天王山」と言われる戦い。同じテーマで勝敗が決するので、勝つのと負けるのとでは天国と地獄の差となります。
 
プレゼン時間は10分間。どのようにしたら我がチームのプランが魅力的に、そして説得力を持ってアピールすることができるかを考えました。
毎日の放課後のみならず、冬休みも、入試期間中の自宅学習期間の間も、生徒たちは知恵を絞り、喧々諤々議論を進めて磨き上げてきました。
 
8チームのプレゼンテーションを見て、正直言って勝利を確信しました。決勝戦はようやく東京。結果発表を待つ間も、決勝戦の戦い方を話していたりもしました。
 
そして結果発表。オンラインの影響か?淡々と語られる勝利チームのその名前は、我がチームの名前ではありませんでした。
 
静まり返る生徒たちと私。
「茫然自失」とはこういう状態を指すのだろうなと。
多少の講評は語られましたが、それでも私達は十分に納得できるものではありませんでした。
 
「なぜ?」「どうして?」
理由を探しますが、どうしても我がチームの負けた理由が見当たりません。
生徒たち以上にショックを受けてしまった私は、彼らにかける言葉も見つからず、それでも言葉を振り絞って総括してみようと思いました。
が、やっぱり結果を咀嚼することはできませんでしたし、恐らくこれからも納得いくことはないと思います。
そのくらい勝てるプランを練り上げたつもりだったし、自信も持っていました。
 
しかし、結果は結果。審査員の方々の中で、我がチームよりも優れている部分を評価されたのだと思います。
少しだけ時間が経ち、今振り返ってみると、これもまたキャリア甲子園の持つ特性なのだろうなと。
正解の無い時代のなかでは、自分たちの正解が必ずしも他者の正解ではないのだと。
そう実感しました。
 
学校教育は「正解を示す」ということが多いです。
もちろんそうしないと「客観的に評価」することはできませんし、生徒たちの能力を正しく推し量ることはしにくい。
でもこの「キャリア甲子園」は、混沌とした評価系の中での最適解を模索し、自分たちの考えや想いを伝えることの難しさ、そして結果が出た時の解釈の難しさを示してくれています。
 
それはそのまま、人間社会の映し鏡となっているなぁと。
 
言葉がなかなか出てこない生徒たちの中から、図らずも、今回「キャリア甲子園」に挑戦してよかったなぁとしみじみ実感した言葉が生まれました。
 
「他人に評価されるのを待つんじゃなくて、自分たちが結果を出せばいい」
 
この活動の期間中にあまり意識したことはありませんでしたが、このようなマインドになってくれたことは、本当に素晴らしいことだなぁと思いました。
今回は私たちのチームは選ばれなかったかもしれないけれど、私たちのプランは絶対にインパクトを残せる自信がある。
「選ばれなかったのは、プランがダメだったから」ではなく、「だったら俺たちがその成果を示せばいい」
この気持ちの変化はとても重要です。
この半年間で、彼らは精神的に大きく成長してくれたなと思いました。
 
今回結果は出ませんでしたが、それでも初参加で準決勝進出。そして準決勝進出したチームは九州で我がチームだけという事実は誇りに思って良いと思っています。
 
この経験と悔しさをバネにして、次は大学入試という大きい関門に挑んで欲しいと思います。
 
ようやく、暑い熱い夏が幕を閉じました。
手元に形あるものは何も残りませんでしたが、彼らの頭とハートの中に、きっとこの経験は刻まれたはずです。
 
心からお疲れさまと伝えたい。
そして、「よくやった!やり切った!」と伝えたいと思います。

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