幼少期

えーっと、自分語りしようかなつったけど何から書けば良いか。
今更悩むw
俺は奄美大島出身の両親のもとに次男として1979年7月8日産まれる、
昭和で言うと54年の未年産まれなんだ。
産まれた所は新宿区富久町。
今は富久クロスなんてタワマンも出来てるが、当時は木造平屋建てが林立しているような街だった。
今の富久町しか知らない人には信じられないかもしれないけど、大きい(高さ以外も含めて)建物は東京医科大学か成女学園中高か都立小石川工業高校しか無かった様に思う。
歌舞伎町から1kmも離れていない新宿の下町産まれたんだ。
俺の1番古い記憶は保育園時代のものだ。
もちろん、富久保育園。
保育園に行ってた理由としては、両親が、印刷業を営んでいたからだ。
母親が夕方に迎えに来るのだが、その日の仕事の進捗状況によって延長保育等もあった様に憶えてる。
それでも、淋しいと感じた事は無かった様に思う。
3歳上の兄が居たし、0歳からの幼馴染も居たし、何より保育園の先生が普段より多くかまってくれたからだw
多分、ユリ先生が俺の初恋だなw
当時の写真を観ると俺はクラスの中で1番ちっちゃくて、怖がりで、人見知りで、内気な子供だった。
だけど、同じ時間を過ごしているうちに友達も出来て毎日楽しかったな。
保育園での思い出は横にあるちっちゃな公園で運動会や芋掘り遠足、友人達との北斗の拳ごっこw
後は、ウルトラマンAやサンバルカンが好きだったけど、今調べたらほぼ記憶ない年齢だから再放送見てたのかな。
家庭は、と言うと、母親は兄と俺との時間を作ってくれていたけど、父親は口下手の仕事一筋で家族の為に自分を犠牲にしている様な人だった。
俺達兄弟が寝静まった後に帰宅するのが常だった。
だから、この時分は父親の事を嫌いという感情は無いんだけど、内気な俺は父親に対して人見知りを発揮してたと思うw
そんな仕事一筋の父親でも、月に1回は家族サービスをしてくれていたし、夏は長野県の大町へキャンプや、黒部ダム観光
冬は湯の丸スキー場等、色々と連れて行ってくれた。
大町では蜂の子を食べたり(グニョっと体液が出て気持ち悪かったw)湯の丸での初めてのスキー(プラッチックの板で兄貴の子供用の板と違うと駄々こねて泣いたりw)初めての奄美旅行だったり、そんな保育園時代を過ごしていたからか、楽しい記憶しかないな。
保育園時代はこんなもんか。
こんなんで年内に書き終える気がしないな。
次は小学校時代でも書こうかね。
意図しない長文でビックリしてるけどw
読んでくれている人が居るからわからないけど、こんな長文にめげずにまた読んで下さい。


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