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ぼっちちゃんは一歩間違えていたら今の私みたいになっていたかもしれない話

こんにちは。今回も私の記事を見ていただきありがとうございます。まず申し上げたいのが、前回の記事をとても多くの方が見てくれました。本当に私の想定以上に多くの方々が私の記事を見てくれました。本当にありがとうございます。今回の記事も見ていただけると嬉しいです。

本題に入りますが、今回の話は「ぼっちちゃんは一歩間違えていたら今の私みたいになっていたかもしれない話」です。中々に攻めた記事ですが、私なりに考えてきたことを書き記していくので、良かったら見ていってください。この記事を書くために私は、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を全話見返しました。アニメで実際に起こった出来事を多く取り上げますので、「あぁ〜、確かにこんなことあったな。」的な感じで見ていただけると嬉しいです。


ぼっちちゃん(後藤ひとり)について

・ぼっちちゃんの性格や特徴

一言で表すとしたら“人見知り”ですね。ぼっちちゃんは、生まれてから、結束バンドのメンバーたちと関係を持つまでの16年間、ほとんど人間関係を持っていません。(細かく言うなら家族以外との人間関係がないに等しい)そのため、多分ですが人とどう接したらいいかがわからないと思うんですよ。実際、1話で初めて虹夏に話しかけられた時は完全にたじたじになっていました。(まあでもあれは多分、誰でもたじたじになりそうだけど)

あと、どこかに隠れたくなるくらい外の世界が苦手というのも特徴でしょうか。実際、アニメ1話でぼっちちゃんと虹夏とリョウの3人でお客さんの前で演奏をした時、ぼっちちゃんだけマンゴーの段ボールに入りながらギターを演奏していました。

マンゴーの段ボールに入りながら演奏するぼっちちゃん

・ぼっちちゃんのHSP疑惑

ここでですが、個人的にぼっちちゃんってHSPだと思うんですよ。「え、いきなり?」とか、「なんでそう思うんだよ」とか、「意味不明」などの声がそれとなく聞こえてきたので、理由を何個か説明していきます。

①何かお願いされると断れないから
正直、1番の理由はこれな気がします。アニメ内で、ぼっちちゃんが結束バンドのメンバーに何かお願いをされて、断れずにそのお願いを受け入れてしまうシーンを何度も確認しています。一番印象的なのは、3話で喜多ちゃんに「ギターの弾き方を教えて欲しい」とお願いされて、結果的に断れずに受け入れたところでしょうか。あとは、リョウに「奢って」などと言われても断れないところですかね。ぼっちちゃんはかなりのイエスマンだなと感じます。そして、断れないのはHSPの典型的な特徴なんですよね。周りを落胆させたくないから、受け入れてしまうと言う心優しい感性を持っているからこその行動だと思います。

②少しでも気遣いをしようとするから
これもHSPの典型的な特徴ですね。気まずい空気やピリピリした空気を誰よりも早く感じとって、その状況をなんとかしようとします。3話で、ぼっちちゃん以外の結束バンドメンバー3人が気まずい空気になっていた時に、なんとかできないか模索していたり、5話で結束バンドメンバーと星歌さんがピリピリした空気を出していた時にいち早く気づいていたりしていましたね。このように、気まずい空気に誰よりも早く気づき、なんとかしようとするのです。

③考えが深くて、深くて、深いから
周りの人が理解できないようなところまで深く考える
ところもHSPの大きな特徴ですね。どんどん考えが悪い方向に進んでいって、結果的に最悪のケースを想定してしまうあるあるのやつです。これも挙げ始めたらキリがないくらい事例があるのですが、一番印象的なのはやはり「承認欲求モンスター」でしょう。(結局それかよ)この「承認欲求モンスター」も、短時間ですごい所まで考えを巡らせ、結束バンドのメンバーが戸惑っていました。
更に、会話する時にどのような言葉選びが最適かどうかを考えすぎて、周りの声に対する反応が遅れたり、反応できなかったりするのも強い特徴です。

④並外れた芸術性
これもHSPの重要な特徴で、独特の世界観を持っているので、ずば抜けた芸術性を発揮します。この芸術性は、時には人にとても高く評価されたり、理解されずにドン引きされたりします。例えば、アニメ4〜5話みたいにぼっちちゃんが書いた歌詞が結束バンドメンバーに評価されると言った良い面もあれば、7話みたいに独特すぎて周りが理解できなかったりもします。(下に例を載せておきます)

7話で、喜多ちゃんと虹夏をお出迎えするぼっちちゃん
7話で、喜多ちゃんと虹夏を迎え入れるために準備したぼっちちゃんの部屋
ぼっちちゃんが提案した結束バンドの服のアイデア


⑤優しすぎるから
もうね、とにかく優しいんですよ。優しすぎる。優しすぎて不安になるレベルです。この優しすぎるところも、HSPの特徴です。アニメ6話の、きくりさんを助けるシーンが代表例でしょう。きくりさんが倒れていたところをぼっちちゃんが発見します。すると、きくりさんが酒や味噌汁などが欲しいと要求してきて、その要求をぼっちちゃんが飲んでしまったのです。そして、①で取り上げたように、ぼっちちゃんが断れなかったことでどんどん話が進んでいき、色々と大変なことになりかけます。(まあ最終的にはきくりさんが結束バンドのライブのチケットを買ってくれたので、結果オーライ)

あと、人だけでなく物にも優しいのも特徴です。12話の最後の方で、ぼっちちゃんは新しいギターを買い、お父さんから借りたギターから衣替えするのですが、新しいギターを持って気持ちが昂っている最中にも、鏡に映ったお父さんから借りたギターを見た瞬間、「ごめんなさい!!君のことも忘れてないよ!!」と言うあたり、本当に心から優しいんだろうなというのが伺えます。この一件で私はぼっちちゃんのことを好きになりました。

これら(①〜⑤)の5つが、ぼっちちゃんがHSPであると思われる理由です。ぼっちちゃんとHSPはかなり表裏一体な気がしています。この結論を前提として、これからの話を進めていきます。

自分について

・自分もHSPの傾向がある

数日前に、こんな記事を書きました。

この記事で、自分の基本的な性格等を説明したはずだったのですが、自分にHSP気質があることを説明することを忘れていました。本当に申し訳ないです。なので、今説明しますが、自分はこう見えてかなり繊細で、余計なこと考えたり、他の人が気にならないようなことが気になったりします。あと、空気が悪くなるのが本当に苦手で、空気が悪くなった途端笑えなくなったり、なんとかならないかと考え始めます。更に昨日の午前3時ごろ、ネットにあったHSP診断テスト的なものをやったのですが、その結果がこちらです。

昨日やったHSP診断テストの結果

正直、驚きました。ここまで自分にHSPの傾向があるとは思っていませんでした。これまで、自分はHSPの傾向が強いのかなとは思っていたのですが、まさかここまでだとは思いもしませんでした。ただただ驚いています。この2点から、自分はHSPの傾向が強いのだと確信しています。

・中3の夏休みから中3の2学期の時の自分は、ぼっちちゃんとほぼ同じようなものだった

これも知られざる過去だったのですが、中3の時の自分はほんとにコミュ障で、今と比べ物にならないくらいの人見知りでした。人から何か話しかけられても、言葉選びを考えすぎてしまって返答に時間がかかるということが頻発していました。そして、今より圧倒的に優しかったのを覚えています。なので、音楽の才能があるという点以外では、ほとんど私≒ぼっちちゃんみたいな感じだったんですよね。

・今の自分は、中3の時の自分と比べて全く違う

しかし、今の自分は優しくないし、中3の時よりはある程度コミュ力もあります。しかし、学校でぼっちなのは変わりません。(それ普通に問題だろ)簡潔に言うと、この2年間で性格が悪くなったんですよね。ですが、ここでこんな反論があるかもしれません。

「2年間でこんな変わるか?」
「あれ?お前さっき自分は今でもHSPの傾向があるって言ってなかったっけ?」

確かにそうですね。このような反論は生まれて当然だと思います。ですが、実際そうなんですよ。この2年間で、自分の考え方がガラリと変わってしまったことで、全く優しくない人間になってしまったんです。昔の自分は、優しさや、その場の雰囲気を保つことや、人の気持ちを最大限考慮するという考え方でした。しかし今では、優しさも大事だけど、論理的整合性や理屈のほうが大事というまったく真逆の考え方になってしまったんです。その理由がかなり自分勝手な理由なのですが、一応この記事に記載しておきます。自分が理屈などを重視するようになった理由は、「周りに理解されてないなと感じたから」なんですよ。本当に自分勝手な理由です。ごめんなさい。周りに理解されなくても、理屈や論理的整合性を考慮して、正しいかどうかを基準にして判断すれば理解者はいらないんだという思考回路になってしまいました。そんな自分勝手な理由のせいで、自分はめんどくさい人間になり、周りに頻繁に迷惑をかけるような人間にへと変貌してしまいました。

ぼっちちゃんが、今の私みたいな理屈を重視するめんどくさい人間にならなかった理由

理由は単純で、ぼっちちゃんは「私のことを理解してくれる人がいるんだ!」と感じたからだと思います。アニメを見た感じ、ぼっちちゃんは、自分のことを理解して優しくしてくれる人間を大切にしているように見えました。なので、今の私みたいな人間になんかなるわけないですよね。しかも、ぼっちちゃんはギターを弾いてる動画を動画投稿サイトにあげていて、視聴者からはかなりウケが良かったです。これは、言い換えれば「視聴者は、ぼっちちゃんが奏でる音楽を理解している」、つまり「視聴者は、ぼっちちゃんのことを理解している」と言えるはずです。このように周りにたくさん理解者がいたからこそ、ぼっちちゃんは心優しい女の子のままでいれたのだと思います。

もし、ぼっちちゃんに理解者がいなかったら

もし、ぼっちちゃんの投稿した動画が視聴者から不評で、さらに結束バンドのメンバーからも全く理解されない状態になったと仮定します。そうなると、これは「周りに理解者がいない状況」と言い換えられます。そうなると、「私が体験した境遇とほとんど同じ、もしくは私が体験した境遇よりももっとひどい境遇」となるはずです。このような状況になった場合、ぼっちちゃんはどうなるかというのを考えてみると、大きく2パターンが考えられます。

①アニメのぼっちちゃんのような、みんなに優しいぼっちちゃんのままという場合

正直、客観的に見ると「こっちの方が確率高いんじゃね?」と思ってしまいましたが、ぼっちちゃんはどのような経緯で①になると考えられるかを説明していきます。
ぼっちちゃんは高校に入るまでの15年間、人見知りでほとんど人と話さず過ごしてきました。さらに、その理由が「私なんかがみんなの輪に入っていいのだろうか」という考えから来ているものです。すでにそんな考えを持っているぼっちちゃんが、結束バンドメンバーや周りの人に理解されないとなったらどうなるでしょうか。きっとぼっちちゃんは、「やっぱり私はみんなの輪に入っちゃダメなんだ!」と思うはずです。ぼっちちゃんは基本優しいので、周りに非があると感じる可能性は少ないんじゃないかなと感じ、このような
結論に至りました。次に紹介するパターン②のような状況になる場合を除いて。

②ぼっちちゃんのギター演奏能力が日本人アーティストのトップレベルにまで上達したのにもかかわらず動画サイトの視聴者や周りに理解されなかった場合

正直、こんなケースになる可能性は低いとは認識していますが、このケースになる場合も考慮しておきましょう。ここからこの記事のタイトル回収になりますね。まず、ぼっちちゃんが毎日4時間以上ギターを練習し続けた結果、ギターの演奏能力が日本トップレベルにまで上がったと仮定します。となると、ギター演奏動画を動画投稿サイトに投稿したら確実に評価されるはずですよね。ギターの演奏能力日本のトップレベルにまで上達したぼっちちゃんは、流石に「ギター弾くの、上手くなってきたよね……!」と思うはずです。しかし、「演奏が上手いのにも関わらず、その演奏が周りの人には理解できるようなものではなかった」としたら、話は変わってくると思いませんか?言い換えると、才能の無駄づかいってやつですね。例えば、ぼっちちゃんがそのワールドクラスの演奏能力を「ぼっちちゃんの独特の世界観ととにかく深い思考によって作り出されたオリジナルの音楽」に費やした場合はどうでしょうか。仮に演奏がうまかったとしても、大体の人は音楽自体の世界観に目が行って、演奏能力うんぬんの話ではなくなってくるようなシナリオも考えられると思います。すると、ぼっちちゃんはついに思考回路が変わり、「私はギターが上手いのに、周りが理解してくれない!私はギターが上手いんだから、悪いのは理解しない周りの人だ!演奏自体は上手いんだから演奏くらいは評価してくれてもいいじゃん!」という思考回路になり、「理屈や論理的整合性を考慮して、正しいかどうかを基準にして判断すれば理解者はいらないんだ」という私のような思考回路になっていき、結果的にぼっちちゃんが今の私のような人になってしまうのではないかと思うわけです。これが、「ぼっちちゃんは一歩間違えていたら今の俺みたいになっていたかもしれない理由」です。

さいごに

起こる可能性が低いことを淡々と話しましたが、結果的にぼっちちゃんは周りにたくさんの理解者がいたため、今の私のような人物像にはならなくて済みました。正直、これ以上私のような人を増やしたくないです。なので私は、
「HSP気質な優しい人の周りには、絶対に理解者をおけ」ということをどうしても言いたいです。HSP気質な人が創る芸術には無限の可能性があります。それに、HSP気質な人の優しさや気遣いは、絶対誰かを救っているはずです。なので、その無限の可能性を大事にし、理解することが、HSP気質を持つ本人にとっても、周りの人にとっても大事なのではないかと思います。

次回の記事は「小説生成AIに『ぼっち・ざ・ろっく!』の2次創作を書かせたらどうなるの?」を予定しています。禁断の企画ですが、よかったら見ていただけると嬉しいです。

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