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★東京オリンピックと幻想(マーヤ)★


日本はマーヤのフォース、物質的なフォースの最も粗雑な形を表している。~グラマーより


秘教学では第二次世界大戦を引き起こした日本は「マーヤ」だと説明している。オリンピック開催をテーマに、「マーヤな日本」を紐解いてみたい。


マーヤとは何か?: 人が魂ではなく、肉体、もしくは物質的な欲求を満たすために生命を鼓舞して行動すること。その行動によって、承認欲求が満たされ、経済的、社会的、または精神的な満足と安定を得ることで、ますます行動がやめられなくなる。しかし欲求が満たされないと苛立ち周りが見えなくなり、分離的な態度をとるようになる。分離的な態度が始まるまでは、いたって元気な人、もしくは熱心な人にみられる。例えばワーカホリック、アルコール依存症、買い物やグルメ依存など。楽しいはずの趣味が、いつしか「それがないと生きている意味を感じない」ほどの価値(マーヤ)になる。

このマーヤが日本の特徴だと言われる。みなさんは思い当たりますか?

オリンピック開催国としてのマーヤはどうだろうか?第二次世界大戦では、資源を求めての戦争、命を犠牲にしてまでも国への忠誠心にマーヤが現れていた。いまのマーヤは政府と組織委員会に感じる。彼らは彼らの信じる価値のために、24時間、戦場で闘う戦士のように頑張っているだろう。国民も同じマーヤのなかで、犠牲を受け入れてでも、オリンピックを成功させようと一丸になっている幻想をみているのだろう。このイベントが生命を鼓舞する喜びとして盛り上がり、精神的な満足を活力に代えて熱狂するだろう…と信じているのだろう。確かにマーヤは一時的に人を活気づけ、生きている実感を与える。

しかし、魂の下でいきるとき、マーヤは必要ない。何もなくても、何もしなくても、その人の心は満たされているのだ。

そのマーヤを解消する方法は、聖なる無関心…と言われる。オリンピックでマーヤ(熱狂する活力)という幻想に取り込まれそうになったら、「聖なる無関心」を思い出そう。これは「まったく関心がない」状態ではなく、距離を保って見守る視点である。オリンピックを批判反対しても、むしろマーヤの活力に火をそそぐ。彼らは分離してでも、マーヤを成功させようとするだろう。だから中庸点にたって、展開していくマーヤのフォースが自然消滅するのを見守っていようと私は思っている。

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