独り言
私は今日だけそのことについては口を噤む。今日だけ口にしない。
そのことは私にとって命をかけて最も重要なことでありそれ以外の生はあり得ないと心底思い感じていることだ。
( 最も重要なことなどこの世には本当は何もないけれど )
しかしそのことを口にすると、そいつは失われていくのだ。
彼は言葉が嫌いらしい。彼にはどんな言葉もかすりさえしない。言葉は後追いに過ぎないから。
言葉の限りを尽くし言葉で表現できぬことは沈黙しなければならないなどと誰かが言ったが(言ったっけ?)私は初めから言葉のルールの土俵にあがることを拒む。
言葉は常に嘘をはらむ。だから大事なことを語る時、それを言葉にして口にする時、常に私は嘘を言っているという意識を眠らせてはならぬ。
。。。
喋る人は治らないのである。彼の為に口を噤む。いや自分自身の為に。
あらゆる宗教的な行の本質は一切の理屈を通さないように。
彼にとっても同じ事が言えると感じる。
シモーヌヴェイユを見習いたい。彼女の言葉をここに記す
たましいはただ、神の方にむかって、生命のパンに飢えていると泣き叫ぶだけでいい。一瞬のたえまもなく、疲れも知らずに、赤ん坊が泣き叫ぶように・・・。みじかくて終わりが定めなく、終わりが定めなくてみじかいこの地上での滞在のあいだ、ただこのように叫ぶこと、そして無の中へと消えて行くこと、---それだけでいいのではないか。それ以上何を求めることがあろう。・・・せめて、今から、死の瞬間にいたるまで、わたしのたましいの中には、永遠の沈黙のうちにはてしなく叫ばれるこの叫びのほかには、どんな言葉もなくなってしまえばいい。・・・・・・
私は明け渡し、アホになって踊るだけだ
お任せ〜Let it be~
雨の音が心地良い午後に
後記
書かなきゃよかったという意識がやって来た。
書く人は治らない。私は作家という人種をある種一番嫌う。そして愛する。
書くべきではないことを書いたり、言ったり表現した後に、後悔をするが、書いたものは、何を思ったとしても跡の始末。決して修正がきかなければやり直しもきかないのである。一回ぽっきり。常に一発勝負でしか成り立たないという生の性質がたまらなく好きだ。この瞬間だけの、掛け替えのない一回切りの取り引き。全く偶発的な未知なるもの。後にも先にもなくこの瞬間に燃え尽きるしかない生が。何を言っているのだろう。
ていうか消せばいいと思うが、やった行いは消せないという生の性質を確認できたので消さないことにした
ではさらばだ
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