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interviews#2 バドミントン渡辺勇大選手お父さん、渡辺雅和さん

 東京オリンピック、バドミントン混合ダブルスで渡辺勇大・東野有紗選手が銅メダルに輝いた。オリンピックでの日本人選手として初めての快挙だった。優勝が決まった瞬間の感動の光景を憶えている方も多いだろう。シャトルが行き交うスピード感、スリリングな展開など激戦の戦いぶりと共に、取材対応などに見られた2人の爽やかな仲の良さも話題となった。
 その東京オリンピック後に、アスリートの親御さんにインタビューするラジオ番組『アスリートママ』に渡辺選手のお父さん、雅和さんにご出演いただいて、どうやって勇大選手を育てたのか、いろいろお話をうかがった。そのインタビューから1年過ぎたタイミング、渡辺・東野ペアがパリオリンピックに向けて、数々の試合で結果を残している今、ここに再現したいと思う。

勇大選手がバドミントンを始めたきっかけ

ーー雅和さんもバドミントンをされていましたよね。勇大選手は、2世として英才教育を受けてきた選手なのでしょうか。

もう全然(笑)。ただ2歳か、3歳頃に運動神経が良さそうだと思ったので、学童保育の野球とか見学に行かせるなかで、選択肢のひとつにバドミントンもあったというだけです。
ウチは共働きだったので、土日にやっているスクールを探して、唯一あった小平ジュニアというチームに入れることにしました。それが小学2年生の頃ですね。小平ジュニアがオリンピアンを輩出している強豪ジュニアクラブチームというのは後々知ったことでして、そのなかで平日も練習している他の子供と違って、ウチは土日だけだったので、勇大は、最初からある程度は出来ていましたが、週末にみんなに追いつくという状況でした。

ーー平日に雅和さんが教えることはなかったのでしょうか。

勇大を送っていくなかで、私も小平ジュニアクラブチームで子供達を指導することになったんですが、勇大を教えた記憶はないんですよね。彼は、親の言うことを聞かなかったので、私が教えると、親の方が感情的になってしまうので、これはマズいぞと思い、ほとんど練習には介入しなかったです。親子での練習は、子供が納得するのであれば、いいと思うのですが、どうしても遠慮がなくなってしまうので、ウチは、勇大が自由にやりたいと希望したこともあり、私が直接教えることはなかったです。

ーー小学生の時に若葉カップで2年連続優勝。6年生の時に全国選手権大会シングルスでベスト4と、結果を残すなかで、オリンピックという将来を親子で見据えていたところはありますか?

優勝もたまたまのこと。バドミントンも体が小さいと、それだけ負担がかかるので、息子が小学生の頃は、特にフィジカルの弱さは感じていました。本人は負けず嫌いの性格を発揮して、一生懸命に、転びながらもどうにか相手のコートに返していました。体格で劣っている分をスピードでカバーしようと彼は、思っていたと思います。カッコよく返すとか、そんなことも考えず、泥臭くてもいいから、ひたすら走り回って、相手のコートに返す。そういうところが当時から垣間見えたので、バドミントンの楽しさ+負けず嫌いがその後の競技生活につながっていったと思いますが、まさかオリンピック選手にまでなるとは想像していなかったです。

ーー小学生の頃は、練習に関して親の負担が大きいかと思います。そのあたりはいかがでしたか?

まず送迎は、杉並区の自宅から小平の練習場まで1時間。私か、妻が週末に送り迎えをしていました。経済的な負担として道具はラケットとシャトル。ラケットの値段はピンキリですが、シャトルはとにかく消耗品でして。さらに試合の遠征があると、その都度費用はかかります。でも、経済的な理由で子供の楽しさを半減させることはやっちゃいかん、と思っていたので、なんとか夫婦で協力しあって捻出していたと思います。

中学校は、福島県の強豪校に進学

――中学は、バドミントンの強豪校・富岡第一中学に進学されていますが、なぜ都内ではなく、福島の中学校だったのでしょうか。

これは本当に息子に申し訳なかったと思っているんですが、それまで親が決めずに勇大に選択肢を与えていたのに、中学だけは親が決めてしまったんですね。中学進学に際していろいろお誘いはありましたが、子供を預けるとなると、やはり親が信頼しているところにお願いしたい気持ちが強く、たまたま私の親友が福島県の富岡第一中学校、高校の総監督をやっていたので、彼に預けるのがいいと決めました。
当時富岡では中高一貫でバドミントンを強くするプログラムが発足したところで、公立だったからかもしれませんが、目標が日本一ではなく、世界に通用する選手を育成すること。これは私の思い違いかもしれませんが、私立の場合は、どうしても日本一を目指す傾向にあるかと思います。私としては長期的な視野に立って指導してくれる学校に行かせたかったんですね。加えて
コーチに楽しいバドミントンをすることで知られている、インドネシア出身の人がいたのも大きかったですね。

ーー親元を離れての寮生活、親子ともに決心が必要なことですよね。

まず生活の不安はありました。洗濯も掃除もしたことがなく、練習は週2日だけだったのがいきなり毎日朝練からガッツリあるわけですよ。さらに中学生というのはすごく微妙な期間で、善悪など親が教えなくてはいけないことがたくさんあるのに、それをある意味で先生任せにしちゃうところもある。なので、毎週末に妻か、私かが福島に出向いてフォローをしていました。
それでも初年度は、ゴールデンウィーク頃まで毎日泣いて電話をしてきました。初日なんて、入学式のあと、家族で食事をして、彼だけ学校に戻るわけですが、すぐに私の携帯が鳴って、もう号泣していました。「もうダメだ、オレ、辞める」って。そこは想定内でしたので、「やめていいよ。その代わり福島から東京まで走って帰ってくるんだぞ」ってね(笑)。
ただ、「頑張れ」という言葉は意識的に避けていました。頑張っているのは十分にわかっているので、頑張っているヤツに頑張れというほど苦しいものはないですよね。彼が弱音を吐いてきたら、それに対して「こうじゃないか」という風なフォローを夫婦でするようにしていました。
いま振り返ると、申し訳なかった、かわいそうなことをしたと思う反面、貴重な経験をさせていただいたとも思っています。

ーーそのなかで東日本大震災が起きました。

2日間連絡が取れませんでした。これは結構キツかったですね。学校は、原発の10キロ圏内だったので、心配でした。13日の夕方、「生きているから、大丈夫だから」って電話がかかってきて、その夜中に栃木県の北部に私がクルマで迎えに行って落ち合いました。その時に勇大が持っていたのが毛布とたくわん1枚。本人は、震災当時のことを詳しく話さないのですが、たくわんは、震災後お世話になった川内村の配給でいただいたもののようで、生きるために必要だと思って持っていたんでしょうね。その姿に涙がこぼれました。

東京オリンピック

ーーそういう経験を経ての東京オリンピック。振り返ってみて、いかがでしたか。

全試合、テレビで観戦していましたが、3位決定戦の最後のポイントを獲った瞬間、意識がちょっと飛んでしまい、なにも覚えていないくらい感動しました。じっくり考えられたのは2日後くらいだったので、たくさんの方からお祝いのメッセージをいただいたのですが、すぐにご返事できなくて。
オリンピックというのは選手のみならず、応援している親にも重圧がかかるものだと知りました。しかも自国開催なので、周囲からの期待とか、他の大会とは比べものにならないものがあったので、選手の大変さを私たちも感じました。

ーー試合後すぐに勇大選手とはお会いになりましたか?

彼はですね、オリンピック期間中全く連絡をくれないタイプでして、試合後に連絡が来た時は、私が電話口で号泣してしまって。多分「ありがとう!」と伝えたとは思うんですけれど、ダメでした(笑)。さらに3日後に家に来てくれて、メダルを掛けてもらった時は感無量でした。メダルは、実際に重かったし、感覚的にも今までのメダルで一番重かったですね。

高校3年生 全日本総合大会

強い選手に育てる条件、環境

ーーオリンピックの銅メダリストになった勇大選手がどうやって強くなったのか、また、どうやって育てたのか、教えてください。

親の存在が子供に与える影響は大きいです。アドバイスをするにしても、子供の性格によって仕方が変わってくると思います。親のアドバイスを受けることで伸びるお子さんもいると思いますが、勇大の場合、余裕がなくなると、アドバイスを受け入れられなくなるので、口出しするのは避けました。
また、親が競技経験者の場合、親の熱い思いとかを子供は敏感に受け取ってしまいがちなんですね。なので、私は「インターハイ期待しているよ」とか、「オリンピックに連れて行って」とか、そういうことは一切なかったです。子供に対して過度の期待はしない方がいいと思います。

ーーケガにも悩まされたと聞いていますが。

中学3年生の時に、第五腰椎分離症になりました。体が小さな選手がなりがちなケガで、お医者さんによると、完治は難しく、疲労がたまると、どうしても痛みが出てきてしまう。なので、付き合っていくしかなく、中三の時はコーチらと話し合って、筋力をつけて、より強い体を作りあげるトレーニングに切り替えることにしました。
でも、基本的にバドミントンは、体の小さな選手でも世界チャンピオンになれる可能性が十分に高い競技です。シャトルを打ち合う速度が一流選手になると、500キロと球技の種目のなかでは一番速く、スピード感のある競技です。それと共にネットを制する者は、試合を制すると言われるほど、ネットがうまく使える選手、ひいて駆け引きが出来る、頭脳プレイに優れた選手が有利な競技でもあります。そういう意味でもフィジカルだけではないので、日本人に有利な競技だと思います。

                      インタビュー 2021年8月