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キャンディ・H・ミルキィさんへのインタビュー/第2回「おふくろの裁縫とかみさんのミシン」

女装愛好家のキャンディ・H・ミルキィさんにインタビューしました。
前回に引き続き、衣装作りのお話を伺っています。
あるドラマで従軍看護婦さんの衣装を見て、「これを作りたい!!」と思ったキャンディさん。
そこからの徹底した研究ぶりと衣装作りがすごいです。

動画版はこちら

プロフィール
1952年 東京都に生まれる
74年 結婚
76年 出版社「雄美社」を設立
84年 女装クラブ「エリザベス会館」デビュー
88年 アマチュア女装誌『ひまわり』創刊
   以後17年間にわたって発行を続け、全盛期の部数は7千部
94年 離婚
2008年 『キャンディ・キャンディ』の関連グッズを陳列した「コレクション展」の開催を始める
17年 東京・柴又に「キャンディ・キャンディ博物館」を開設

母親譲りの裁縫

私の裁縫って母親の影響なの。
親父が酒飲みで、給料みんな使ってきちゃうんだよ。
おふくろが縫い物の内職やってたの。

学校から帰ると常に縫い物やってた。
1日で浴衣を5枚ぐらい縫うんだよ、午前中2枚、午後3枚。
すごいスピードで縫うんだ。

ある日、学校で家庭科の時間に雑巾を縫ってたら、先生が来て「あらっ!上手ね!どうしてそういうのできるの?」と聞かれた。
他の子は針動かすんだけど、私はね、布を動かしたんだよ。
だからそれを見て。

そういうのもあって、裁縫が好きだった。
手縫いも好きだった。

かみさんのミシン

だから、最初の頃は全部手縫いだったんだよ。

仕事しながら、家族が寝静まった頃に、機械に向かって下にダンボールの箱を置いて縫ってた。
かみさんや子供が来た時は、箱の中にバサっと落として足で閉じて仕事してるわけ。
で、いなくなるとまたダンボールから出して縫ってた。

仕事一生懸命やってる割には全然稼ぎになんないのは、縫ってたから。
スカート用の布を三重に丸めてさ、手で20mか30m縫うんだから大変。

でも、かみさんが別れる時に「あんたはミシンが欲しいだろうから。私は使わないから」と置いていってくれた。

そのミシンはやっぱり早い、ダダダーッと。
そうしたらもうますます磨きがかかっちゃって。
かみさんに逃げられたショックをミシンで癒したという。
どうしようもないよなー(笑)

我ながら、もっと離婚した罪悪感とかさ、反省をしろよって。
ミシン置いていってくれた方が嬉しくてさ。

最近、そのミシンもついにだめになって。
でも、新しいミシン買うお金がないんだよ。

安いミシンをリサイクルショップから買ってきたんだけど、ほとんど直線縫いしかできない。
スピードの調整もできなきゃ。

そんで、ミシンを売ってる生地屋さんのところへ行くたんびにミシンを見てたのよ。
そしたらね、こんな格好で行くからさ、店員の人が声かけに来た。

店員:ミシンをお探しですか?
キャンディ:いや、買うわけじゃないんだけど、いいなと思って
店:どういうミシンをお探しですか?
キ:今あるミシンが、ジグザグ縫いができて、ジグザグのピッチと幅が決まって、スピードが出てバックができるんだけど、その程度できりゃいい
店:それはすごく高級な機種ですね、それだと10万円以上になります
キ:あっ、だめだ
店:いえ、こちらの会員でいらっしゃるから1万円安くなって、展示してある現品ならさらに一万円安くなります

今の機種って足踏みじゃなくて、ボタンで動くらしいんだよ。
別売りでフットコントローラーを買えば7,000円する。
そしたら店員さんが「いえ、それもつけますよ」とか言う。

そんで決め手に「本当にお召しものが素敵ですね」って言われて、コロッと買っちゃった(笑)

狙われてたね。

自動的に糸が針に行くとか、上に上がって止めるか下に下がって止めるかを選べるとか、スイッチで糸が切れるとか、余計な機能がいっぱいついてんだよ。
「こんなものいらねーから安くしろよ」と思って使い始めたら、超便利(笑)

今やっと使いこなせて、また新たなミシンと共に人生を過ごしております。

――ドレスって今までどれぐらい作ったんですか?

もうね、たぶん30、40は作った。
あとリフォームもしちゃう。

ピンクハウスをもらったんだよ、10着ぐらい。

調べたら100万以上する。
1900年、10年代のピンクハウスだから。

レースがボロボロで着られないから、似た生地のやつを合わせてニコイチで作ったんだよ。
そしたらピンクハウスの人に怒られた。
切り刻んで、なんてことをするんだっつってね(笑)

リフォームでやる場合もあるし、一から作る場合もある。
小物もあるから。
バッグだとかリュックサックだとかいろんなものを作っていく。

最初はもうね、型紙はあるんだけど、縫っちゃ着て縫っちゃ着て決めていく形だったから、超いい加減な作り方で。
でもね、ある時、『レッドクロス』っていう看護婦さんのテレビドラマが放映されたんだよ。

そん時に見た日赤の従軍看護婦さんの衣装がすごく素敵で。
濃紺のワンピースでさ、目が釘付けになっちゃって「これを作りたい!!」って思った。

ネットで調べたり、いろんな博物館行って現物を見て、写真撮っちゃだめだっていうのを隠し撮りしたりしてさ。

いろんなことして資料集めて、日赤の従軍看護婦の歴史まで勉強することになっちゃった。
そしたら、日赤の看護婦さんから日赤の図書館にある資料をもらって、見たら白衣の帽子の作り方が書いてあった。

結局ね、仮に作ったのが4着。
女子高生のスカートを全部ほぐして、それで4着作って、5着目でやっと完成させたんだよ。

体に合わせて作らなきゃいけなかったから大変だった。

帽子から靴から持ち物も全部作んなきゃいけないわけ。
飯盒はんごうにしてもね、いろんなものを入れる雑嚢ざつのうにしても何にしても、資料を集めて作ったんだけどね。

あれは5年ぐらいかかった。
自殺用の瓶まで作ったんだから。

それができあがったら、今度は白衣も欲しくなっちゃった。
白衣を作ったら、次はロケーションが欲しいんだよ、写真撮るのに。
何度もあっちこっち巡った。

衣装を作るっていうのは、ただ作るだけじゃなくて、その後にロケーションを探す。

もんぺとセーラー服のね、戦争中の女子高生が勤労動員で鉄道員の格好してる写真を見たら、それが欲しくなっちゃった。

ガード下の靴磨きの写真見たら、それも欲しくなっちゃって、衣装を作った。
靴磨きの道具も全部作ってさ、衣装を着て、本当に国鉄のガードの下で写真撮らないと気が済まない(笑)

バスの車掌さんなんかもやったんだよ。
廃バスを探してさ、そこで写真撮るわけ。
やり始めちゃうとね、衣装作るだけじゃ済まなくなる。

――衣装のデザインはどんな風に考えているんですか?

一番よくないのはね、好きなものしか作らないこと。
食べ物もそうだけど。
人から貰ったりすると、ちょっと違うものになって、それをリフォームするからいい。

だいたい私は丸襟で、いわゆる落下傘スカート、ドーナツ形の。

ウエストは、お腹が中年太りで太ってっから、お腹の上がウエストになる。
子供服がちょうどいいんだよね。

あとはボタンがない。
ボタン怖いフェチなの。
密集何とかシンドローム、ツブツブ症候群と言われるものがあって、基本的にボタンがだめなの。

ピンクハウスなんかは、ボタンがだめで、まずボタンを全部取る。
多いと1着に50個ぐらいついてんだ、ピンクハウス。

だけど、どうしてもボタンがなきゃだめな場合は、ボタンをつけたやつを1か月でも2か月でもね、吊るす。
朝夕晩見るようにしてると、少しずつ慣れてくる。
そうすると、それまでだめだったボタンがOKになる。
受け入れられるみたいになっちゃうんだよねー。

ツブツブ症候群があるから、ボタンがかなり厳しい。
困った(笑)

~第3回へ続く~

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