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生成AIと人間に求められる力

小学校の同級生にChatGPTをどう考えるか、と聞かれて、まとまって書いていなかったことに気づいたので、折角なのでnoteに書いておこうと思います。(写真は先日まで講義で通っていた大学のキャンパスです。)

生成AIは新しいことができるようになったことが人間の存在にとってこれまでの技術と本質的に違う部分があるだろうか。ChatGPTと自動車、ChatGPTとコンピューター、ChatGPTとインターネット。それぞれの技術は人間の存在をどれだけ変えるだろうか?

人の使う力は変わってきた。インターネットでのコミュニケーションのノウハウは培われる代わりに対話のコミュニケーション能力が落ちたかもしれない。コンピューターのキーボードには習熟したが暗算をする力やそろばんをはじく能力が落ちたかもしれない。今では当たり前に使っていて気にも留めないが、昔の人と現代人が使う力というのは当然違うのだろう。必要な能力のパラメーターで言えば、違う生き物といってもいいぐらい異なるのかもしれない。

翻って、ChatGPTはどうだろう。Stable Diffusionは?前者も後者も、絵をかいたり文章を書いたり、それを思い通りに直してくれたり、好きにやってくれる。技術力の競争、権力の集中という面から見ればもちろんアメリカの一団体のみがそれを運用しているという危険性はある。いろいろな会社がそうした技術を保有できるような体制がとられることが望ましい。マイクロソフトが多額の出資をしているという話もあるが、いずれにせよどこかの団体が所有してしまっては権力の集中は免れない。産業競争的な意味でも、データのもつ資本的な力を分配する意味でも、色々な国がより技術開発の競争を進めなければいけない。

一方で、個人が技術とどう付き合うべきかを考えてみると、端的にはこれら生成AIを使いこなす力を手に入れるのが手っ取り早い。(もちろん、自分や他の人に対するセンシティブな情報を入れてはいけないとか、そういうリスクに対する考慮はしながら使う必要はある。)今、Stable DiffusionにしてもChatGPTにしても多くのノウハウが雨後の筍のごとく出てきている。まさにこうしたノウハウを遅かれ早かれマスターすることがこれから現代社会に生きる人にとって必須になるだろう。その人個人のこだわりとして、そうした技術を使わないという態度はそれはそれでいいかもしれない。しかし、現代の資本主義において時は金であり、スピードとは(金銭的)価値である。(資本主義の追及の善悪、それによる資本主義の崩壊の可能性は置いておくとして、)少なくとも2023年現在の社会で生きていくには金銭的価値をある程度作り出すことが必要とされる。

しかし、もちろん単純にノウハウをマスターするというだけでは技術に使われるだけで自律的に技術を使っていることにはならない。出てきた回答や文章、絵の自分にとっての良しあしを判断する基準を身に着ける必要がある。

提示されたものが自分にとってどう映るかに対して敏感になる力、自分と向き合うという力は普遍的な部分がある。自分がある対象に対して何を考えて、どう関わりたいと考えようとすると、例えば創造力とか学ぶ力といったものが最終的には大事になるのだろうと思う。ふわっとした話になってしまったので少し具体的にすると、大量のインプットをうろ覚えし、それらを結び付け、同時にマンネリな思考パターンを何が何でも避ける、という3つを行う力としての創造力と、少ない情報から頭の中にある知識集合についての簡易的な地図を作り、その地図の中のまだわからない部分を自発的に埋めていって自分の地図を素早く完成させる学ぶ力。自分がある対象を見て何を思うのか、何をより知りたいと思うのか、ということが自分と向き合うことだとすると、結局は人に求められているのはこういう力なのではないかと思えてくる。

今後も、すさまじい勢いで新たな便利ツールが出てくるのはほぼ間違いない。過剰に恐れたり、食わず嫌いしたりするのでもなく、全部生成AIにお任せするのでもなく、とりあえず使って利便性を享受しつつ、自分の中に感じる違和感(なんか実際はこういう出力が欲しかったんじゃないかも)にまじめに向き合うのが健全なのではないだろうか。それによって、新しい技術が出るたびに自分のことがこれまでよりもわかるようになるのではと思う。

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