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【アイスマン】ピオトル・ジエリンスキについて調べてみた

こんにちは!TORAです🐯

今回は(カルチョ村では)豪華絢爛カロリーオーバーなインテル中盤の一員となったピオトル・ジエリンスキの記事です。

先日のジョゼップ・マルティネスと異なり、流石に情報がイージーに集まりますね。笑

ガゼッタさんがキャリアを一応まとめてくれたので掲載していますが、ウィキなどでも拾えるのでガッツリめに要約しています。

そういったキャリアよりも本記事は
ⅰ)主にナポリ紙から拾ったあまり知られてなさそうなパーソナルな情報
ⅱ)我らがインテル公式が発信したオフィシャル風味な記事

を主題とします。

その分、今回はプレースタイルの私見はサラリと流します。パーソナルな情報や海外識者の評価をたくさん取り上げ、ジエリンスキのキャラクターを共有できればと!

それではいってみよう!

※ジエリンスキって何度も打つのは地味に大変なので、本記事ではニックネーム(略称)である”ジエル”と記載します。

※ガゼッタさんに限らず、全体的にちょこちょこ端折ったり、意訳や補足もしています。紹介記事は原文そのままじゃないのでご了承ください。

●ガゼッタ:ジエリンスキの幼少期とキャリア、私生活

1994年5月20日に生まれたピオトル・ジエリンスキは、ポーランドの町ザブコヴィツェ・スラスキーで育った。元アスリートである両親のおかげで、生まれたときからスポーツへの情熱が彼の血管を循環していた。才能あるサッカー選手だった父とハンドボール選手だった母は、ジエルと2人の兄に体を動かすことへの愛情を伝えた。

広い庭のあるジエリンスキの実家は彼にとって最初のトレーニング場だ。また、彼の家の前には小さな通りがある。多くの友人たちがそこで技術を競い合っており、ジエルがサッカー界で輝くことを運命づけられたキャリアの始まりとなった。

彼は成功の道を歩んできた。2011年から2013年まで在籍したウディネーゼでは300分しかプレーできなかったが、エンポリではマウリツィオ・サッリの指導の下、その才能を発揮し始め、トスカーナのクラブで先発のレジスタ(?)となった。セリエA初ゴールは2015年のジェノア戦で、2-0の勝利に貢献した。そのシーズンは36試合に出場して計5ゴールを記録する。

2016/17シーズン、ジエルのキャリアは決定的な転機を迎える。ナポリが彼に投資することを決め、1500万ユーロで買い取ったのだ。デビュー戦は8月21日のペスカーラ戦で、CLデビューは9月13日のディナモ・キエフ戦。ナポリでの初ゴールは、12月2日のインテル戦(3-0でフルボッコにされた試合)だった。

2018/19シーズン、ジエルはナポリの中心選手となった。7ゴール2アシストでシーズンを終え、2018年9月には、ネーションズリーグのイタリア戦で決勝ゴールを決めた

2020/21シーズンはセリエAで8ゴール、ELで2ゴール。13アシストを記録。ナポリで最も鋭いプレーをする1人だった。2022年3月、ポーランド代表としてスウェーデン戦で決定的なゴールを決め、カタール・ワールドカップ出場権を獲得した。

2022/23シーズン、開幕ヴェローナ戦で勝利に貢献するゴールを決め、CLのリバプール戦ではドッピエッタ(2得点)を決めた。アタランタ戦ではナポリでの300試合出場を達成。そして33節、ウディネーゼ戦でのドローでナポリはスクデットを獲得した。

ジエルのプライベートは家族のためにある。ラウラと幸せな結婚生活を送り、強い絆で結ばれている。私生活はスポットライトを浴びることはないが、この夫婦はお互いに仲睦まじいことで知られている。

スポーツ選手としてのキャリアに加え、ジエルは社会貢献活動にも力を入れている。彼は両親とともに『ピーターパン』という団体を設立した。この団体は彼の故郷にある建物を改築し、病気や貧困、社会環境との関係において問題ある子どもとその家族を支援を目的としている。

『ピーターパン』という団体名はジエルのファーストネームが由来だそうです(ピオトルは英語だと、”ピーター”に該当)。なぜ彼がこんなにも社会貢献活動に精力的なのかは幼少期の生活に紐づいています。少し深掘りしていきましょう。

●Il  Mattino紙とVidesti紙を合わせてTORAが要約

ジエリンスキ一家は彼らの故郷で”ビッグハート”として知られる。ジエルの父であるボグスラフらはジエルがまだ7歳の頃に、私費を投じて孤児院を設立した。

ボグスラフは語る。「私たちにはたくさんの子どもたちがいました。子どもたちの誕生日を全員で祝福し、一緒に学校に通わせた。彼らは今、別々の場所で幸せに暮らしています。それが私たちにとって一番大切なことです」

一方で当時のジエル坊は困惑したという。「家で騒いだり、走り回ったり、一緒に寝るのも辛かった」、「持ち物には全て名前を書いたよ。じゃないと、彼らは全て自分の物と思ってしまうからね」

しかし、ジエルは成長するに連れ、両親が行っていることの偉大さに気付き、やがて彼自身も同じ道を歩む。

ナポリに移籍して初めての給料で故郷に大きな家を2軒購入したんだ。アルコール依存や貧困などの問題を抱える子どもとその家庭を支援できる病院を兼ねた保護施設にするためにね」

「そこに住む子どもたちは家族同然なんだ。聖餐(典礼的会食)のようなイベントがある場合、彼らが両親と会えずひとりぼっちになると分かっていれば、半日だけでも彼らに会うようにしている。贈り物を持っていくためにね」

●インテル公式:ジエリンスキの気になるコト10選

①テニスの情熱
幼い頃からいつもボールと戯れていたが、もしサッカー選手でなかったら、テニス選手になりたかっただろう。

②幼少期のアイコン
ジエルは幼い頃から聡明で、多くの偉大な選手を見て学ぼうとした。特に幼少期のアイドルだったのはトマシュ・ロシツキーだった。

③ネラッズーリの伝説
インテルのシャツに袖を通した数多くのレジェンドたちの中で、最も愛するプレーヤーは2人。フェノーメノ・ロナウドとハヴィエル・サネッティだ。ジエルのイタリアでの最初の2シーズンは歴史的キャプテンの最後の2シーズンと重なるが、両者はピッチに並び立っていない。

④家族大好き
サッカー以外では愛する妻(ラウラさん)と息子(マクシミリアンくん)と過ごす時間を大切にしている。動物も大好きで、ミアという名前のラブラドールを飼っている。

⑤音楽は
POPミュージックが好き。

⑥ファーストペンギン
インテル116年の歴史の中でポーランド人選手は存在しなかった。ジエルは歴史に名を刻む。

⑦代表でも大活躍
ジエルはポーランド人代表の中で最も出場数が多い選手たちの一人だ。2013年に代表デビューを果たし、11年間で93試合に出場、12ゴールを挙げ、3度のユーロと2度のワールドカップに出場した。

⑧左利き?右利き?
ジエルの得意技のひとつは、左右どちらの足でも強力なシュートを打てることだ。子どもの頃から父親と一緒に家で練習をし、どちらの足でも扱えるように多くの時間を費やしたという。

⑨ベストゴール
FKのスペシャリストであり、ボックス外からのロングシュートも可能。ジエルはセリエAで42ゴールを決めており、その中には素晴らしいゴールも存在する。選ぶのは簡単ではないが、彼によれば「ベストゴールは2017/18のナポリvsアタランタ」。アタランタ(若きクリスタンテ)に先制された後、彼は見事な同点弾を決めた。その後、ナポリは3-1で勝利を収めた。

⑩イタリアでの生活
ウディネーゼ、エンポリ、ナポリで12シーズンを過ごし、インテルにやってきた。ジエルはネラッズーリと特別な関係にあり、食事、気候、そしてインテルに来てから彼を助けてくれた多くの人々など、すべてを愛している。

●その他気になる情報

✔︎アイスマンのニックネームも持つ。本記事執筆に当たり調べてみたら、どうやらナポリのウルトラスが付けたっぽいですね。たぶんおそらくメイビー。

✔︎アイスマンの由来は「常にクールだから」的な感じだと思いますが(由来も調べたけど全くわからず)、一方で2021年に Radio Kiss Kiss Napoliでこんな発言も、「飛行機は怖いんだ。電車での移動が好きだね」。まさかのベルカンプ由来?笑

✔︎ピーターパン設立・運営の功績により、聖ブラザー・アルベルト財団から聖ブラザー・アルベルト・メダルを授与される。なんかすごい。

✔︎2021年、ナポリ大学でイタリア語検定試験B2レベルに合格。すごい。

✔︎2023年10月6日、法律で定められた条件を満たした後、ナポリ県知事クラウディオ・パロンバの手からイタリア国籍を取得。

●プレースタイルについて

彼のプレースタイルを超端的に表せば、「10番(トップ下)が本質の、万能型MF」が私見です。

記事に書かずもがなですが、なんといっても超シンプルにボールを扱う技術がバチクソにお上手で、センス(タイプ?)をインテルで例えるとバレッラが最も近いと見ています。

ガゼッタにはサッリエンポリ時代は先発のレジスタだった、的なことが書いてありましたが、この時代のサッリレジスタといえばミルコ・ヴァルディフィオーリ

ジエルは4-3-1-2におけるトップ下やインサイドMFで、そもそもエンポリサッリ下ではベンチスタートが主だったような…。まぁ新聞なんてこんなもんですよねw

当時のサッリレジスタといえば、絶対に彼。

その後、コアスタメンを掴んだジャンパオロエンポリ、再会を果たしたサッリナポリではインサイドMFとして起用されました。尚、当時のレジスタは前者がレアンドロ・パレデス。後者がサッリがお気に入りでエンポリから引っ張ってきたヴァルディフィオーリ…をポジション争いで制したジョルジーニョ。

むしろ、レジスタっぽく起用されていたのはアンチェロッティナポリ。4-4-2のダブルボランチの一角を務めていました。…が、左サイドを任せられることも少なくなく、実際にアンチェロッティも「彼は前線で創造性を発揮しつつ、ビルドアップの際には全体を前進させる”オープナー”だ」と評価。

監督がガットゥーゾに変わると初期は4-3-3のIHとして起用されますが、シーズンが変わると4-2-3-1を導入し、トップ下として起用が目立ち始めます。

ナポリに移籍したきた当初ほどではないものの(=移籍当時は結構ひどかった記憶)、たまにネガティブトランジションや予防的プレーに”喝”があった彼の守備の軽減を図る目的は理解できますが、とはいえジエルはもう万能型MFとして成長しており、”この頃のナポリのサッカー”からすると、ジャストフィットではなかった印象です。

実際ジエル自身も2020年に「僕のポジションを決めるのは監督だよ。でももし自分で選ぶとしたら左IH(正確にはハーフの左MFと発言)がベスト」と発言し、暗に一石を投じました。

ということで、そりゃまぁ万能型になるわなって感じの使われ方ですねw

本人的にも「自身の根幹は10番」と思っている節はなんとなーくありますが、現代サッカーにおいて自身が最も輝ける位置が左IHということなのでしょう。

元アルバニア代表のイグリ・ターレがジエルのことを「最高レベルの環境でプレーできる素晴らしい技術を持ったミッドフィルダーだが、そこに到達するための自信と野心が欠如しているのが問題」と指摘しています。

ターレに限らず、メンタル面を突かれることが散見されますが、他方、「これだけポジションやタスクが移り変わる中でチームスタイルに適応できている点はスキルだけでなく、精神力あってこそ」と評価する有識者も多いです。

僕も同感で、バレッラのような燃えるような闘志ではない、もしくは内に秘めるタイプかもしれませんが、美しさを感じさせる精密なボールスキルやポジションやタスクの順応性は、氷のように冷静なメンタルコントロールが土台にあるでしょう。この精神力は彼の両親や幼少期の経験も一役買ってそうですね。

インテルでもアイスマンたる所以を存分に魅せてほしいものですね!

超がんばれジエリンスキ❄️

最後までご覧頂きましてありがとうございました🐯


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