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“笛吹きに金を与える者が曲目を決定する”~政治改革の本道は「企業・団体献金の禁止 筆坂秀世


【画像① 岸田文雄首相と日本維新の会の馬場伸幸代表は、調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)の改革をめぐり、合意文書を締結(5月31日)したものの、自民党側が今国会での取り扱いを先送りにするとして”約束を反故”にし、馬場氏を憤慨させる騒ぎとなった。国民側から見れば、両者とも「何をやっているんだ」ということなのだが…。】





元日本共産党参議院議員で政策責任者だった筆坂秀世さんが、最近のパーティー券キックバック裏金問題に端を発した政治資金改革について、過去の金権腐敗問題の追及に関与した者としての視点で斬りこむ論考を書かれたので、紹介する。



◆金権腐敗追及に明け暮れた国会議員秘書時代




私は1973年にそれまで勤務していた三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)を退職し、共産党の衆議院議員の国会秘書になった。その後、参院の比例代表選挙の候補者になるまで約10年間秘書をしていた。


その間、様々な金権腐敗事件の究明に携わってきたが、最初は1976年2月にアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会で明るみ出たロッキード事件であった。ロッキード社から巨額の賄賂を受け取っていたとして当時、前首相の田中角栄が受

託収賄罪と外為法違反容疑で逮捕された。他に政治家二人、右翼の大物と言われた児玉誉士夫、国際興業社主で政商と言われた小佐野賢治、全日空や丸紅の幹部など多数が逮捕された。


戦後、昭電疑獄や造船疑獄など、多くの金権腐敗事件が明るみ出たが、間違いなく戦後最大の疑獄事件がロッキード事件であった。昭電疑獄は、昭和電工による贈収賄事件であり、造船疑獄は海運、造船業界からの贈収賄事件であった。



【画像② 1970年代後半期に国会議員秘書となり、95年からは参議院議員となって日本共産党国会議員団による「金権腐敗追及」の先頭に常に立ち続けた筆坂秀世さんのずるどい舌鋒の質問は、今でも国会で語り草となっている。】

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