intelCPUの歴史

1969年、それまでRAMなどを製造していたアメリカの半導体企業intelに日本のメーカーであるビジコンからプログラム電卓のためのチップセットの開発が依頼される。
これに対しintelは、開発するチップを減らすためにMPU(今でいうCPU)のアイデアを考え付く。
こうしてintel初のMPU、i4004が1971年に誕生する、(実は世界初のマイクロプロセッサーはこれではなくアメリカ海軍のF14戦闘機の可変後退翼の制御用にギャレットエアリサーチとアメリカンセミコンダクターズによって開発されたMP944である。)
このi4004はアドレス12bitでデータ8bitであったが外部バスは4bitしかなく、これを時分割多重で出力する設計であった、これは、16pinDIPのパッケージに抑えるためである、そのため、0.03MIPSしか性能がでなかった、クロック周波数は諸説あり、741Khzから500Khzだといわれている。
プロセスルールは0.01mmでトランジスタ数2300だったマスクROMの4001、RAMの4002、出力ポートの4003とともに使用され、これらはMCS4と呼ばれた。当初ビジコンのみに供給されていたが、のちに外販される。
i4004をベースに命令数やレジスターを増やしたりして性能を向上したのがi4040であったが、相変わらず外部バスは4Bitである。1972年発表、1974年より製造
同じ1972年にはintel初の8bitMPU、i8008が発表された。これは外部ナソが8Bitになり、パッケージは18PinDIPであった、P-MOSプロセスでプロセスルールは10μm、トランジスタ数3200個、クロック周波数は0.5Mhzだったが、8008-1という高速品では0.8Mhzで動作する。性能はi4004の2倍まで向上した。
最初期のPC(当時はマイクロコンピューターと呼ばれていた)のMicralなどは、この8008が使われた。
1974年にはx86のもとになったアーキテクチャを持つi8080が発売される。10μmP-MOSプロセスで製造された。改良型のi8080Aは6μmNMOSで製造され、トランジスタ数4800、クロック周波数は2Mhzであった、パッケージは20PInである。
そして、こいつの互換製品であるZ80の互換品のNECμPD780C1が名機PC8801や8001に搭載された。
1976年、8080の改良型の8085が発売される。
クロック3.0Mhz 3.0μmN-MOS トランジスタ数6500であった。
そして、1978年に、intel初の16BitMPUである8086が発売される、こいつは現在まで続く
x86とx64の基礎を築いた、intelはiAPX432やIA64(itanium)で何回もx86を置き換えようとするもことごとく失敗し、しまいには64bitのときにはAMD64(x64)に先を越されたというのは有名な話だ。
それはさておき、この8086は3μmのHMOSプロセスでクロック周波数5Mhz、8Mhz、10MHz CMOSプロセス版では12MHzであった、トランジスタ数は29000であった、パッケージは40PInDIPである、外部バスを8BItとした廉価版の8088も発売され、IBM-PCなどに採用された。また、浮動小数点演算用のコプロセッサとして、8087が用意された。
今でも工場などのシステムに使われていることが多い、名機PC9801にも8086互換のcpuが使われた(余談だが、9801シリーズにはファクトリ用のFC9801というのもあったらしい)
ちなみに、40年後の2018には記念モデルであるCorei7-8086Kが発売され、最大ブーストクロックは初期の8086のちょうど1000倍の5000Mhz、プロセスは14nm、トランジスタ数も十憶単位でパッケージもピンは1151個になっており、40年の進化を感じる。
その後、8086後継はPC用の80286と組み込み向けの80186に進化する。ともに1982年発売
ここではPC用の80286について解説する。80286は8Mhzから12mHZのモデルがあり、ソケットはPGA68、トランジスタ数134000、1.5μmのNMOSプロセスで、8086に比べてクロックあたりの性能が2.5倍になっている。実はMS-DOS上では後継のI386より早かった。
その後、X86は32BITに拡張される。INTELは32BITでは全く新しいアーキテクチャを導入しようとIAPX432を開発し、1981年に発売したが、こいつときたら非常に複雑な設計で単一チップに抑えることができず、しかもクロック周波数も上げられず、性能がひじょうに悪かったため、黒歴史となった。
I386は1.5μmプロセスで、クロック周波数は12から40Mhzがラインナップされていた、トランジスター数27万5000、専用FPUとしてi387があった、132ピンPGAパッケージ他
こいつは先述の理由により、セカンドソースの高クロック版80286にシェアを脅かされたりしていた。
なお、こいつにはRapidCADという変な派生商品があり、こいつはなんとi386の形をしたi486というどこぞやのスカGみたいなやつであった。
1989年には386の後継としてi486を投入する
386はマイクロコードを多用した設計のせいで、処理が遅く、これを改善するために主要な命令をすべてハードワイヤーで実装したりL1キャッシュのダイへの統合など高速化が図られた
最初は1μmプロセスで33Mhz動作、次に0.8μmの50Mhz動作品、1992年に66Mhzのi486DX2
1994年には0.6μmプロセスの100Mhz品であるintelDX4が発売された。
また486ではFPUが統合されたが、FPUを無効かした廉価版の486SXシリーズもあった
486SX用のグレードアッププロセッサーとしてi487があった。
パッケージは196ピンPQFPだった。
1993年に486の後継として発表されたのがPentiumである。
スーパースカラーやFPUの強化などが行われ最初はSOcket4が採用された。周波数は60MHz、66Mhzなどであった、P5コアなどと呼ばれた、
第二世代はP54C、P54CSといったもおでクロックは200Mhzまで向上したこれ以降はSocket5や7が使われた。
第3世代は233Mhzまでクロックが向上しMMXが追加され族にMMXPentiumと呼ばれた。
なお、PentiumのP54CはFDIVバグで回収騒ぎになったことで有名である。
1995年には現在Xeonがになっている市場向けに、ハイエンドのPentiumProが導入される。
こいつは今のCoreシリーズのアーキテクチャの元になったP6アーキテクチャのコアを搭載していた。
分岐予測といった先進技術を採用、RISCの設計思想を組み込み32ビットコードではPentiumを大きく凌駕するも、16ビットコードは苦手でwindows9x系ではなくNT系で用いられた、
プロセスルールは0.5μmから0.35μm
クロックは150Mhzから200Mhz
L2キャッシュチップも搭載しており、容量は256K、512K、1MBがある
トランジスタ数はコアだけで550万、L2キャッシュでその数倍であった。
その後、P6はPen2、Pen3と進化し、Pen4のNetBurstが爆熱問題でコケたためP6ベースだったMobileCPUのPenMをベースとしてCoreシリーズがつくられ、現在に至る。

ちなみにこの記事を書いているPCもintelのCorei9-9900KFを積んでいる。

写真 筆者のX86-64軍団の一部
Pen2-350 Pen3-550 Celeron300A
Socket370色々(Pen3とセレロン)
Pen4-2.8EGhz(プレスコソケ478)
Pentium60Mhz
Corei7-4770K

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