ある凡人の数学者人生が始まるまで 10

高校生編 1

高校生活が始まって何度か定期テストを受けて分かったが、やはり大阪府第一学区のトップ校、周りは皆かしこかった。数学塾に通った成果もあって全教科高得点をとれた中学時代とは打って変わり、得意科目と苦手科目とに大きく分かれることになった。


得意科目=数学。それ以外は全て苦手。


文系科目は大体学年最下位レベルをキープすることとなる。一方、数学は基本的に学年一位であった。

中学時代の塾の先生に「お前レベルのやつがうじゃうじゃいる」と言われたと述べたが、数学に関しては私よりできる人は残念ながらいなかった。


北野高校は当時スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されており、一学年八クラス中、二クラスがSSクラスで数学理科を重点的にやる別カリキュラムが組まれていた。私は当然のようにSSクラスを志望していたものの落ちてしまい通常クラスだったのだが、SSクラスには私と同じ苗字Sの人がいて、「SSのS」と「数学のS」と呼び分けられていた。

それぐらい、「Sと言えば数学」というキャラができていたのである。ちなみに私のイニシャルは S.S. だ。どうでもいいが。


中学時代の同級生で大教大付属池田高校に進学したYから「Z会マスターコース」(以下、Z会)という塾の話をよく聞いており、その塾に興味を持っていた私は高校一年生のときにZ会で数学の授業のみを定期受講することにした。中学時代に通った大森学園浜田教室は高校数学も教えていたが、中学数学が塾のメインと聞いていたので辞めていた。


一年生の間はこのZ会と数件出版の書籍「赤チャート」シリーズで数学を勉強しまくった。

ちなみに、高校生時代に背伸びをして大学数学を本格的に勉強するということは殆どしていなかった(高木貞治「解析概論」にチャレンジした時期があるのと、留数定理とか「集合と位相」は多少勉強した記憶もある)。

高校数学を中学時代にやり終えるというようなこともなかったので、高校時代に高校数学をたくさん勉強し、私にはそれが最高に楽しかった。


程なくしてZ会のT先生に「君は特進クラスに行くべき」と言われた(「特進クラス」という名前だったかは覚えていないが)。言われた通り特進クラスの試験を受けて合格した私は、そちらでより数学を楽しんでいった。T先生が担当でなくなったことには想定していなかったので若干ショックだったが、特進クラスの先生の授業も大変面白かった。

印象深く記憶に残っているのが、大したことのない自慢になるが、あるとき特進クラスで先生が解説した図形の証明問題の別証明を思いついた私は「先生、もっと簡単に証明ができます」と言って、前に出てそれを解説したときのこと。その授業後、別の高校に通う女の子に「カッコ良かった」と初めて話しかけられ、とても照れた記憶があるが、その問題自体がどんなものであったかを覚えていないのが残念である。

その後、特進クラスの先生が体調を崩されたようで講座が中止となり、受験期までZ会から離れることとなった。


なお、いつであったかは覚えていないが、塾の廊下かエレベーターでT先生とお会いしてお話しているときに

小川洋子著、「博士の愛した数式」、新潮社、2003年

をおすすめしていただいた。そして、実際に購入して読んでみた。それまでに読んだ本にも書いてあった可能性はあると思うが、「オイラーの等式」を始めてしっかりと認識したのはこの本を読んでであったと記憶している。

一億以下の素数の個数が5761455個であることはこの本を読んで覚えたし、私の整数好きは主人公である博士の影響もあると思う。


高校一年生のときの国語の授業の課題について記憶が残っているので、それもここに書いておきたい。

新聞の切り抜きをしてきて、それについて一分間スピーチするという課題であったと思う。私は当時新聞に出ていた「信州大学の中村八束教授らがジョルダンの曲線定理を完全証明した」という内容の記事を紹介した。国語はすごく苦手であったが、数学の記事がタイミングよく載っていたのは運が良かった。

中身についてはよく理解しておらず、記事に書いてある通りのことを話した。なので、2005年になって始めて証明された難解な定理なんだな〜という印象を持っていた。

実際のところ、ジョルダンの曲線定理は(今でもあんまり詳しくないが)1900年前後に証明されたのであって、2005年に話題となったものは「自動証明検証システムMizar」というものを利用した検証についての結果だったようである。

なお、検証システムによる証明ではなく普段人間が普通にやっている感じの数学によるジョルダンの曲線定理の証明であれば検索すれば解説記事はいくつでも転がっていて、そう困難なく理解できると思う。

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