ある凡人の数学者人生が始まるまで 1

はじめに

最近、ようやく自分が『数学者』であると実感するに至った。

数学者にはどんなイメージがあるだろうか。「孤高の天才」という言葉が思い浮かぶ人もいるかもしれない。

この世界にいると、周りには確かに頭のいい人が沢山いる。しかしながら、誠に残念なことに、私はいわゆる秀才ではないし天才でもない。

頭のキレがいいわけでもないし、他の数学者に比べて圧倒的に頭が悪い。小・中学生で数学検定1級に合格したり、高校生で数学オリンピックのメダルを取ったわけでもない。何千ページもある代数幾何学の教科書を読み通すなんてことはできなかったし、何十もの論文を書いているわけでもないし、受賞歴があるわけでもない。

他人と比較しても何らの意味もないのだと頭ではわかっていても、これまでに出会った学生や数学者に対して、年齢に関わらず、その輝かしい経歴と能力に嫉妬をした。これを読んでいる数学関連の私の知り合いがいたとしたら、十中八九私から嫉妬されていると言っても過言ではない。

要するに大した人間ではない。それでも数学が大好きだ。大好きで、ずっと憧れを抱いてきた。自分自身が心の底から美しいと思える、そんな定理をいつか証明してみたい。そう願って、今まで数学を続けてきた。

自分の能力の低さに思い悩むという、時間の無駄かつダークな側面について書いてしまったが、実際の数学人生はとても楽しい。というのも、私の知る数学者の世界は全く孤独の世界ではないからだ。

国内・国外を問わず、色々な地で研究集会や勉強会が盛んに開催される。時には観光をしたり食事をしながら他の数学者と会話をする。思うに、数学者にとっての「会話」は重要な仕事の一つである。会話から共同研究に発展することはよくあることであり、私も実際にそれを何度か経験した。これに関連する話題として大野先生の『嵐に飛ばされる研究集会』を紹介しておく。(追記:このあたりは今年はコロナウイルスの影響ですっかり変わってしまった。)

時には嫉妬をしてしまうこともあるが、私の人生にとって数々の数学者との出会い・友好関係は数学そのものに匹敵するほどのかけがえのない宝物なのである。

そんな感じで「孤高の天才数学者」とはかけ離れた形で私は今に至るまで数学を続けているが、「自分は『数学者』である」と実感することができたのはつい最近のことである。

自分語りには恥ずかしさがある。他人が読んでもεも面白くないかもしれない。しかしながら、そんな心境の変化があり、ちょうど30歳という節目でもあるから、書く気があるうちにこれまでの半生を簡単に振り返りたいと思う。


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