ある凡人の数学者人生が始まるまで 11

高校生編 2

ところで、中学時代はバスケ部であったが、私の身長は172cm程度であり、たまたまその中学では当時一番身長が高かった(すなわち全員低かった)のでセンターをしていたものの、高校バスケでこの身長でセンターがつとまるはずがない。だからと言って、今からポジションを変更するのもめんどくさかったので高校ではバスケ部には入らないことにした。

一方、中学時代に北野高校へオープンキャンパスで一度来ており、そのときにオーケストラ部でヴァイオリンを弾いた男の先輩にかっこいいなあと感じていた。そういえば中学時代にジブリの「耳をすませば」が好きすぎて毎日ビデオ録画を観ていた時期があって、それでヴァイオリンに憧れを持ったというのもある(主要登場人物が「ヴァイオリン作り」)。

そんなことが影響して、高校ではオーケストラ部に所属し、それまでやったことのなかったヴァイオリンを始めた。下の写真は高校生時代の私である。


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オーケストラ部の部員は女子の方が多かったが、男子生徒は同学年では私を含めた三人がいてその全員がヴァイオリンだった(本当はもう一人いたが途中で学校に来なくなった)。ただし、私以外の二人(三人)は幼少期からヴァイオリンをしていたため大変上手く、そのうちの一人Nは小中高大(あと幼稚園の前の子犬の会の前のキリン教室も)一緒の付き合いである。

Nから音楽的影響を多大に受けた。中学時代はショパン一筋であった私であるが、高校時代にはクラシック音楽全般を好きになった。

バッハの「シャコンヌ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の音源を死ぬほど聴いた。



二年生になって同じオーケストラ部の人と数ヶ月間交際したが、彼女の影響でドヴォルザークの「チェロ協奏曲」も大好きだった。


北野高校では音楽教諭のS先生が主導する「音楽フェスティバル」(音フェス)というイベントが毎年開催されていた。

内容は音楽選択クラス対抗の合唱コンクールをメインとし、吹奏楽部やオーケストラ部による演奏、オーディションに合格した若干名によるピアノ独奏や少人数アンサンブルなどである。

音フェスは毎年DVD化され、入学以前の先輩方の音フェスも見ていたので、入学当初から楽しみだった。

同じヴァイオリンの男子生徒Hとタッグを組み、私がピアノ伴奏をするヴィターリの「シャコンヌ」でオーディションに臨んだ。

このオーディションは専門家の外部審査員もお呼びする公立高校とはとても思えないほどハイレベルなものであり、我々のチームは残念ながら選ばれなかった。

私はクラスの合唱で指揮者をやることになっていたので、そちらの方に全力を出そうと思い直した。

ところが、待ちに待った音フェスの当日、会場で準備中に一気に体調が悪くなった。会場アナウンスで母を呼び出してもらい急遽病院へ。インフルエンザ検査は陰性であったが、39度の高熱が出ており、点滴を打って帰宅することになった。

こうして初めての音フェスにはろくに参加できず、それまで皆勤だった私は初めて「早退」が付いてしまった(音楽選択でなくても強制出席の学校行事なのである)。急遽指揮者を交代してもらったSさんにはとても申し訳なかった。


なお、音楽のS先生は今は教諭を退職され、大阪でカフェをされている。



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