ある凡人の数学者人生が始まるまで 9
中学生編 4
ここで、中学生という多感な時期に私の心を奪ったもう一つの存在、
ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin)
について語りたい。
ある日、母に連れられて映画「戦場のピアニスト」を映画館で観た。Wikipediaで調べると公開日は2003年2月15日とあるため、中学一年生の後半から中学二年生のある時期に観たと思われる。
映画の中でピアニストである主人公がドイツ軍将校の前でピアノを演奏するシーンがある。そのとき弾いていた曲がショパンの「バラード第一番」だ。
それはもう印象的であった。この日、はじめて私はショパンのすごさに気づいた。
前述の通り中学二年生の頃、CGIゲームの設置されているWebサイトにハマっていたが、CGIゲーム以外でハマったWebサイトが「ショピニストへの道」だ。(なんと、このサイトもまだ存在する!!!!)
小学生の頃はただ惰性でずっとピアノを習い、チェルニーやソナチネを弾いていただけであった。ショパンの曲については「子犬のワルツ」とか「幻想即興曲」とかごく一部しか知らなかったが、このサイトの存在がピアノの詩人と呼ばれるショパンの楽曲を一曲ずつ知る助けとなった。
そうして聴き始めたショパンの楽曲の一曲一曲に感動を覚えた。「幻想曲」、「舟歌」、「幻想ポロネーズ」あたりは傑作であるが、中学生時代に最もショパンの天才性に震えたのは「バラード第四番」である。
完璧とはまさにこの曲のためにある言葉だ、非の打ち所がない
と感じた。「ショピニストへの道」の解説から引用すると、「あらゆる要素が盛り込まれた大傑作」。
その一方で、「バラード第四番」に比べて完璧ではない部分を持った「バラード第一番」の方がむしろ好きだななどという謎すぎる評価をしていた。
二つのピアノ協奏曲も大好きだったが、あげ出すと全ての曲を褒め称えることになりそうなのでここらへんでやめておく。
中学三年生(二年生の後半かも?)のピアノの発表会で「バラード第一番」を拙いながらも演奏した。
この日が実はバスケの池田選抜の選抜結果発表日だったのであるが、発表会を優先したため選ばれなくても仕方ないなと諦めていた。バスケ部の同級生が全員バスケを終えて演奏を聴きに駆けつけてくれた。本当に嬉しかったが、このとき「お前選抜落ちてたで」と何故か嘘をつかれ、実は受かっているにもかかわらずしばらくの間落ちたものと思い続けていた。
ピアノは中学三年生で辞めた。どういう理由で辞めることにしたのかは明確には覚えていないが(多分受験勉強)、ある日唐突に先生に「今日で辞めます」と言った。先生にとっては突然のことであったから申し訳なく思う。先生の家から自分の家まで帰る間、通い続けた十一年間のことを思い出し、涙が溢れ出して止まらなかった。
空手の先生にもピアノの先生にも、ずっとお会いしていない。元気にしておられるだろうか。またお会いしたいな。
バスケをしていた中学生の時期が最も運動が出来、小学生時代に得意だった縄跳びについては四重跳び連続二回という記録を達成した。(この間、ついに三重跳び連続二回すらできなくなっていることに気づいて絶望した。)
バスケ部を引退してからは、勉強しかすることがなくなり、成績はぐんぐん上がった。最初は姉が行った池田高校が志望校であったが、
池田高校 --> 豊中高校 --> 北野高校
とものすごいスピードで上位校へと志望校が変わっていき、中学生活最後の定期テストで初めて学年一位をとった(記憶では五教科500点満点中483点)。
北野高校へ通う場合は電車通学となるため、私は最初それを嫌っていた。しかし、通っていた英語塾のY先生が「君は絶対に北野高校に行くべきだ」とおっしゃってくださったのが決め手となった。Y先生にはとても感謝している。
S中学から北野高校を受験した六人はその全員が合格した。
合格した際、私が数学にのめり込むきっかけとなった数学塾にも電話で報告をしたが、そのとき出たのは塾長ではなく別の講師のY先生であった。
「お前はうちでは数学がよくできたかもしれないが、北野高校にはお前レベルのやつがうじゃうじゃいる。気を抜かずに頑張れ。」
というようなことをおっしゃってくださった。そうか、北野高校にはすごいやつが一杯いるんだなとワクワクした。
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