ある凡人の数学者人生が始まるまで 12

高校生編 3

私の曖昧な記憶によれば、この音フェスの時期に東京出版の「大学への数学」を読み始めた。小学生の頃は父に「コロコロコミック」を毎月購入してもらっていたが、高校生になって今度は毎月「大学への数学」を購入して貰えた。とても感謝している。

余談だが、コロコロコミックには「月刊」と「別冊」があり、何ヶ月かに一回は父は間違えて「別冊」の方を買ってくるということがあった。「でんぢゃらすじーさん」が一番好きだった気がする。


閑話休題。


それ以来、高校を卒業するまで大数の購読を続けたが、実際には「宿題」と「学力コンテスト」ばかりやっていた。毎月応募とはいかず、できたときだけ応募していた。学コンの採点者を指名することができ、私は会ったことはないが勝手に尊敬していたJさんを指名していた。一度だけ150点満点を取ることができ、そのときの返却された答案は今でも実家に残している。

こうして思い出すと、中学高校の頃は数学の問題を解くことが楽しかったことがわかる。中学生の頃は塾の帰宅問題、高校生の頃は大数の宿題と学コンに挑戦することが生きがいだったのだ。


そして、その頃には当然存在を知っていた数学オリンピックに挑戦することにした。

父に連れられて大阪の会場へ行き、配られた問題用紙の色に驚きつつも問題に取り組んだ。(日程的には 数オリ予選 --> 音フェス で記述が前後している。というかこの文章全体で時間は多少行ったり来たりしている。)

普通に難しかった。零点ではなかったが、予選突破とはならなかった。

それ以前に数学オリンピックの問題集を買って過去問がどんなものかを見ていたが、基本的に自分に解けるレベルではないと感じていた。また、数学オリンピックで勝ち進む人達は住む世界の違う天才だと思っていた。

なので、予選に通らなかったことにはそこまでショックではなかった。

否。近所の普段は立ち入らない駐車場で泣いた記憶もある。


ところで、私は今の発達したSNSの時代に高校生時代を過ごさなくてよかったと思っている。

高校では数学で一番の成績を収めていたが、まさしく「井の中の蛙」状態であった。

冒頭で述べた通り私は嫉妬深い人間であり、負けず嫌いでもあり、当時やっていた数学は問題を解くことが主眼で競技色が強かったのであるから、自分が高校で一番でなければもしかしたら自分には才能がないと数学の道を諦めていたかもしれない。

一方、大数の宿題・学コンや数オリ入賞者の存在は雑誌や書籍から目に入っていたのだから、世の中には自分よりすごい人がたくさんいることは知っていたはずである。

だが、自分から遠い存在には嫉妬心は起きないものだ。上記の凄い人達は氏名や得点しか目に入ってこないし、「自分とは違うとても遠い世界の人々」と思っていたので、嫉妬することはなかった。

今のSNS時代、twitterなどで凄い人の存在の可視化が進んでいる。私がもし今の時代に高校生であったならば、高度な大学数学や最先端の数学を学んでいる高校生達の存在を「近い存在」と錯覚し、「いまだに高校数学をやっている自分なんてダメだ。数学者には絶対になれない」と思ってしまっていた可能性は否定できない。

実際は今の時代はとてもいい時代である。高度な数学の内容をインターネット上でいとも簡単に得ることができる。若いうちからいくらでも進んで勉強できるのだ。吸収力のある若い人の場合は興味の赴くままにどんどん先の数学を勉強してもらいたい。他方、数学をするのに早熟である必要性はない。できることなら学習進度や周りの人の学習内容を気にせず、それぞれのペースで皆に数学を楽しんでもらいたい。

ただ私自身の場合は、その性格上、今の可視化には耐えられなかった可能性があるというだけの話だ。個人的には今数学を続けることができているので、よい時代を生きることができたと思う。

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