ある凡人の数学者人生が始まるまで 8

中学生編 3 〜数学を志すきっかけとなる本との出会い〜

数学に興味を持ち始めた私は紀伊国屋書店に行っては数学コーナーの書籍のタイトルを眺めるようになった。

ある日、私は一冊の本と運命の出会いを果たす。


サイモン・シン著、青木薫訳、『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』、新潮社、2000年。


最終定理


その中二病的な四字熟語の響きに、当時中三の私はこの本を買わずにはいられなかった。

貪り読んだ。死ぬほど面白かった。アンドリュー・ワイルズを心の底からかっこいいと思った。


せっかくなので、ワイルズの論文

A. Wiles, "Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem", Ann. of Math. 141 (3) (1995), 443-551.

からフェルマーの最終定理(今ではフェルマーが証明できていたとは考えラれないというのが共通認識なので、フェルマー予想と呼ぶ方が適切である)が定理として確定したことを宣言している部分を引用しよう:


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シンの本を読んだとき、それまでに抱いたことのある多数の将来の夢


飛行機のパイロット、コロッケ屋さん、バスケの選手、ピアニスト、天文学者、宇宙飛行士、ゲームプログラマー、、、


それら全てが一瞬にして消え、その後15年間、一度も揺らぐことのない将来の夢ができた。


数学者になりたい。


それから、大学生になるぐらいまでの間、数学に関する啓蒙書を多数読み漁った。そして、ガウスの有名な次の言葉を何度も目にした。


数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である。


私はこの言葉を鵜呑みにした。こんなことを言われれば、数論をやらない選択肢などない(実際は「女王」の意味合いについて色々な解釈が可能であると思うが、単に「一番凄い」と解釈した)。なお、数論(Number Theory)は日本語では整数論とも表現され、整数の性質を調べることが大元の動機にあるような研究を行う学問領域である。フェルマーの最終定理も数論の問題だ。

今となってはガウス個人の感想であるこの言葉は真実ではないと感じている。私がある程度深く勉強したことがあるのは整数論だけであるが、これまでの人生で様々な科学や数学の研究分野の話を聴いたり本を読んだりしてきた結果、基本的にどの分野も破茶滅茶に面白そうであり、人生を懸ける価値があり、研究分野間に優劣の差があるわけでは決してない。

惜しむらくは各分野の専門分化が進みすぎ、人間一人の人生では多数の研究分野をマスターするということは(ほんの数人の例外を除いて)基本的に不可能な状態になっているということだ。

なので、研究者各々の人生における研究テーマとの出会いというのはまさに運命なのである。

私個人はガウスの言葉を鵜呑みにしたことによって整数論にのめり込んだが、整数論が深くて面白いことは事実であるため、そこから抜け出すことなど不可能な身体となってしまった。一方で、整数論自体が今では大量に分化してしまっており、私はその広すぎる研究領域のごくごく一部の分野の専門家となってしまっている。


私を数学の道に進むきっかけを与えてくれたシンの「フェルマーの最終定理」であるが、私以外に一体どれほど多くの人がこの本を読んで数学者を志したのだろうか。

昔は高木貞治先生の「近世数学史談」(岩波文庫)を読んで数学者を志したという人が多かったらしい。私個人は高校生のときにこの本を読んだが(もちろん一読をお勧めする歴史的傑作である)、この本をきっかけとして数学者を志す人というのは既にある程度の数学的素養がある人だろうなと思う。

今では結城浩先生の「数学ガール」シリーズを読んで数学者を志す人も多いのではないかと思う。私自身、高校生のときに数学ガールを読み始め、今でも熱心な読者の一人である。


追記)この記事を投稿する日に栗原先生の記事

に気づいて初めて読んだのですが、原論文が出版された1995年の記事で迫力があります。ワイルズのEuler systemを用いた最初の証明が間違いだったことは有名ですが、その後修正された証明は「簡単」になったということが書かれており、その視点が私には示唆的でした。


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