ある凡人の数学者人生が始まるまで 18

大学生編 1

2008年の4月。いよいよ京都大学での生活が始まった。

片道1時間半以上かけて大阪の自宅から通っていて夕飯の時間には帰っているべきであったことと、学問に邁進しようと意気込んでいたことからサークル等には所属しないことにした。

通学時間を有効に利用しようと最初は思っていたものの、結局4年間電車ではほとんど寝ていた。

サークルには入っていなかったものの、一度だけ京大天文同好会KUALAに所属する友達に誘われて「出撃」と呼ばれる基本イベント(晴れていたら天体観測に行くというもの)に参加させてもらったことがある。先輩の車に乗せてもらい、奈良県の曽爾高原に連れて行ってもらった。そこでおそらく人生で始めて満天の星空を観た。フォーマルハウトという名前を覚えたのはこのときだ。朝京大に帰ってきてそのまま4共で講義を受けたのを覚えている。


1年生の間は吉田キャンパスの吉田南構内が主な活動場所であった。3年生になるまでは京阪電車の神宮丸太町駅で降りて京大病院のあたりから通学していた。ちなみに関西の大学では「n回生」と呼ぶ慣習があるらしいが、私は嫌いなのでずっと「n年生」を用いている。

京都用の自転車を買って空きコマの時間や授業後に色々なところを観光した。高校3年生のときに観た宮崎あおいが演じる「初雪の恋 ヴァージン・スノー」という映画が好きで、南禅寺水路閣を初めとした聖地巡礼をした。


京大理学部は最初から数学科などに分けて受験するのではなく、全員が理学科である。そして、理学科は6つのクラスに分けられていた。私は6組(=S6)であった。S6の中の数人と特に仲が良くなり、いわゆるグループを作る形で常に行動をともにしていた。その友人の中には数学者になった者も物理学者になった者もいる。特に物理学者のNは出身高校も同じだが、よく帰りの電車で(彼が先に降りる駅までの間で)数学や物理について熱く語り合った。

同じS6の友達であるF君がとてつもなく賢かった。その後、天才と呼びたくなるほど頭のいい人を何人か目の当たりにしてきたが、人生で初めて出会った天才である。帰りが一緒になったときにある公式が話題になった。私はそれを知識として知っていたが、彼はそれを自分で発見・証明していたことに衝撃を受けた。それ以来、彼の天才性を何度も目撃することになる。

数年前Sn(n ≠ 6)の友達と久しぶりに食事をした際、彼もF君の思い出を語っていた。私以外にもF君は天才と思われていたようだ。F君が今どこでどのように生活しているかは詳しくは知らないが、元気であれば嬉しい。


以下、講義についての記憶を幾つか述べいこう。一番最初に受けた講義は青山秀明先生の力学だった。物理では柴田一成先生の電磁気学の講義もとても楽しかった。化学は自分には難しくて「もう勉強しなくていいか」となった。

大学ではどうやら1年生でも2年生以上の講義を自由にとってもよかったようであるが、上級生に混じって講義を受けようという発想にはあまり至らなかった。そのため、1年生のときに受講した数学の講義は基本的には微分積分学と線形代数学のみであった。

微積は松木敏彦先生で先生ご自身が書かれた本を使用していた。線形はA先生(?:記憶違いの可能性あり)で、教科書は永田雅宜先生が代表著者である『理系のための線型代数の基礎』だった。

松木先生の講義は2コマ連続で後半は演習であり、問題が全て解けた人から提出して帰ってよいという形式であった。中学時代の塾の帰宅問題のときのように最初に帰るのを目指して頑張っていたが、F君に負けることもしばしばだった。試験対策委員(シケタイ)として松木先生の教科書(?)の問題に解答をつけてS6の皆に配った記憶がある。

1年生の間は2年生以上の講義をとらなかったと言ったばかりであるが、K先生(?)の複素解析の講義だけは1年生のときに受けた記憶もある。前に述べた通り高校卒業時に留数定理の勉強をしていたので興味を持っており、この記憶が確かな場合は、講義についていける自信があったのだろう。

RIMSの1年生向けの講義で凄いやつがあるが、何回かは出席してレポートを出した記憶がある。しょっぱなから圏論に触れることができて新鮮だった。


一般教養(パンキョー)として文系科目も幾つか単位を取る必要があったが、その中でも理系っぽい論理学を取った他は倫理学、社会学、ドイツ文学(この講義で「ヴェニスに死す」が扱われ、マーラーの交響曲第5番にハマることになった)、心理学、霊長類学などの講義を聴いた記憶がある。



英語の講義については田地野彰先生の講義が好きだった。京大・学術語彙データベース 基本英単語1110というかっこいい単語帳を出されていたが、今調べると2009年出版なので受講していたのは2年生だったか?それとも1年生のとき講義を受けている際に出版予定だということを聞いていたのだったか。どちらにせよ語学は1年生、2年生で4期受けていたと思われるので正確な記憶がなかなかない。

田地野先生の講義で英語論文を選んできてabstractを日本語訳するという課題が出たことがある。そのときに私が選んだのが加藤和也先生の

である。この頃には「解決!フェルマーの最終定理」などを読んで加藤先生の大ファンになっており、上記論文の出だしにある

Mysterious relations between zeta functions and various arithmetic groups have been important subjects in number theory. 
(0.0) zeta functions ↔ arithmetic groups.

を読んで「ゼータ関数と数論的群の不思議な関係」に大きな魅力を感じた。(@VVV@VV?V@VV?Vなどが出てくる部分が謎で難しそうだなあなどと思っていたが、数年経ってからTeXのミスであることに気づいた)


別の英語の講義では教科書の英文に関するプレゼンを日本語で行うという謎の取り組みがあったが、私が担当のときは「子ども」に関する英文であったので、「エルデシュは子どものことを ε と表現していたそうです。ところで、エルデシュは次のように素数の無限性を証明しました。」と言ってそれを黒板で解説した。F君は担当する英文が§22であったため、「22と言えば22/7が円周率の近似値ですが〜」と言って、円周率についてプレゼンしていた。

第2外国語はドイツ語を選んだ。数学では今でもフランス語の論文を読む必要があることも多いが、大学入学当初はブルバキ以降のフランスの活躍を知らず、ヒルベルト時代までのゲッティンゲン大学等に憧れを抱いていたのでドイツ語にした。しかしながら、私は語学が非常に苦手で、なんとか単位を取ることができたもののドイツ語の知識は何一つ頭に残っていない。

教員志望ではなかったのと、就職活動に役に立つということを知らなかったので教職科目は取らなかった。


講義以外で1年生の頃に勉強した記憶のある教科書を幾つかあげてみたい。まずは高校生時代に少しだけ読んでいた高木貞治先生の「解析概論」をある程度しっかりと読んだ。他には同じく高木貞治先生の「初等整数論講義」、斎藤正彦先生の「はじめての群論」、ロットマン(著)・関口次郎(訳)「ガロア理論」をそれなりにしっかり読んだ。

岩波の「数論I」、「数論II」は部分的に読んで難しい部分はよく眺めていた。Ramanujanの2次のEuler積の式の導出あたりを読んで大変感動したのを覚えている。


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1年生の終わり頃に加藤和也先生の4部作の1つ目である「フェルマーの最終定理・佐藤‐テイト予想解決への道 (類体論と非可換類体論 1)」を 読み込んだ。そして本に関する質問メールを送り、ご返信いただけたことがとても嬉しかった。

もちろん積読も大量にしており、斎藤毅先生の「フェルマー予想」は1年生のときに購入したものの読めるはずがなく、今に至るまで眺めて憧れるということしかできていない。

ちなみに高校生編では書きそこねたが、瀬山士郎先生の「なっとくする集合・位相」は高校生のときに全部読んでいたのを思い出した。これは私にはかなり楽しい本だった。


自宅、ミスタードーナツなどのお店、大学など色々なところで勉強したが、吉田南構内の図書館でもそれなりによく勉強した。図書館に行っては三井孝美先生の「解析的数論」や河田敬義先生の「数論」を眺めたり読んだりした。あとはRIMSの便り的なものが置いてあり、望月新一先生のところを見て凄そうな研究をしておられるなあとよく思っていた。勉強以外では視聴室があって、ジブリのDVDなどを見放題だった。


自主ゼミは1年生の間は後に物理系へ進むことになる友達2人とランダウ=リフシッツの「力学」を読んだ。そのうちの1人は数学オリンピックや大学への数学の学力コンテストでよく名前を見ていた人だった。


5月に開催された「ガロア祭」で加藤和也先生を初めて生で見た。そのときは「目の前に超有名数学者がいる!!」と興奮して心臓が止まるかと思った。私は整数問題に挑戦しただけであったが、表彰されたのは全問正解した人だけで、そのうちの1人がF君だった。

このときの中島啓先生と熊谷隆先生のご講演は面白く、それなりに印象深く記憶に残っている。


勉強以外のことでいうと、地元で中学生時代に通っていた英語塾で数学のアルバイトをさせていただいた。 

また、1年生のときは高校時代の多くの友人が浪人生活をしており、とある駿台予備校に同級生が100人以上(!)通っていた。なので、よく駿台の近くまで行ってそこにいる友達に数学を教えたりしていた。

あと何故か高校を卒業してから高校のサッカー部の友達の多くと仲良くなった。神戸大学の保健学科に行った友達が2人いたので、よく名谷に行って遊んだりもした。

11月祭ではS6で「じゃがバター」を売り、シフトが入っていないときに色々まわって楽しんだ。大阪大学や神戸大学など他大学の学祭にも遊びに行った。


さて、中学・高校時代は数学の問題を解くのが好きであったと述べたが、高校数学が得意であっても大学数学でギャップを感じてしまうこともよくあると聞く。

ただ、私の場合は問題を解くことよりも教科書を読んで理論を勉強していく方が好きだということが大学で勉強を始めてみて分かった。一方で、自分で数学の研究をするというようなことは学部生の間はなかった。

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