見出し画像

ジャコメッティ展へ

近現代美術とかまったく詳しくないんで、そんな大規模展が行われるくらいメジャーな人だっけ?という驚きが最初にありました。(自分の場合は図工の資料集で知った)
しかも国立新美術館みたいなすごいキャパのとこでいいのかよ!動員大丈夫なの!?ゴッホとかじゃないけど!?

けどまあ私が無知なだけで実際お客はいっぱいいた。平日の開場すぐを狙って行ってよかったぜ。
客層は夏休みだけあって老若男女とりどりでした。

この展示のえらいところ。

写真が撮れます。

この特定の3体については、

写真が撮れます。

とある銀行前広場に設置を計画していたこの3体ですが、納期と作品の出来とが作家のなかで折り合わないかなんかでポシャったとのこと。
屋外の設置をめざしてたせいか、ジャコメッティの作品のなかではとりわけデカイです。それをどうにか携帯で撮りたくて、膝立ちでズザァとフライングブイ弾いてるギタリストのような必死なポーズでお客さんの切れ間を待ってました。
カメラをちゃんと持ってる人はもっと楽しいと思う。

今回の展示を見て覚えたことは、ジャコメッティさんは幻想を描いた人ではなく、現実を抽象化した人でもなく、写実の人だということです。あの作風なのに。
まあでも確かにね、作品見るとなぜか男女の区別とかちゃんとわかるんだもんなー。あの形状なのに。
造形に携わったことのない自分のような者にはわからないなんか魔法のさじ加減というかが働いて、そうなってるんでしょう。

ジャコメッティさんはモデルさんを前にしての制作も、街角とかで出会い頭のスケッチを元にしての制作も、記憶やイメージに基づいた制作も全部してたらしく、「(モデルが)ちょっとでも身動きするとまるで大事故にでも遭ったかのような悲劇的な声をあげた」とかの話も残っており、だいぶこだわりマンだったみたいだ。
(このモデルをつとめた日本の哲学者・矢内原氏のおもいでノートは以前に本屋で見た)
拘束時間が長すぎるせいでモデルになってくれる人が少なかったとかの話も全部バラされてました…

とはいえ、一瞬のスケッチをものにするのもすごく巧みな人なんだと思う。「歩く男」的なタイトルのついてる作品が大小いくつかあるけど、特に群像のものは、街なかで歩いてる人間の一瞬の交錯に惹かれて制作されたものだそう。
この作品は自分も実際に街ですれ違うようにして見るのがおもしろかったです。そのために何度も何度も同じ作品にスワァ…と歩き近づいては通りすぎたりしていました。

絵画と違って彫刻はいろんな角度から見れるけど、この人の作品はわりとベストオブ角度がしっかりあるのかなーとも思った。
寄せ植えの盆栽みたいな多人数の群像は、正面からジリジリと視点を下げて、教科書と同じ角度だ…!とかやったし、「ヴェネツィアの女」たちは展示室に入って群れと出くわしたときの斜めからがいちばんヤバイよなーって四方八方からグリグリながめていました。

ジャコメッティ作品は、とりあえずベストオブ角度から見てみると、どこがどう写実なのかよくわかるようになってるんじゃないかと思いました。
例えば人物像ばっか作ってたジャコメッティが作った数少ない動物の作品のうち「猫」。自分の寝てるベッドに毎朝ズンズンと近づいてくる猫の正面顔の印象に着想を得て作られたものだといいます。
これは猫の正面から視点を合わせてみると、もう完全に猫。形状が猫という以上に、明らかに猫なのです。横から見るとこんなにハルキゲニアなのに…
正面顔にはジャコメッティの探求した点である「物の見たままの姿」、それ以外の角度には「物の量感とか、手触り」が表現されてるのかな、と想像します。
絵画作品やスケッチによる習作から、ものの「視線」にこだわり続けた(こだわりすぎてスケッチでは目の回りが線まみれになっている)、この作家らしさが表れてる気がします。

ちょっと気に入ったシリーズのなかに、見たままの姿を再現しようとしたあげく、像がどんどん小さくなってしまって完全に指先でひねりつぶせるサイズになってしまった一連の小像がありました。ビジュアルはどこからどう見てもジャコメッティの立像、ただサイズがカマキリの幼虫くらいしかないっていうやつら…
確かに目に入る姿というのは絶対にそのものの実物大ではないものなあ。対象との距離がゼロにはなり得ないわけだから。
で、それ使ったグッズがあったらよかったのに!ミュージアムショップに!!
それ見てる間じゅう、これの等身大フィギュアとかあったら困っちゃうなあとかこれがヘッドについてるボールペンとかあったらどうしよう絶対必要ないのに絶対買うだろとか心配してたけど、杞憂でした!

こういう最近のミュージアムショップによくあるジョークみたいな商品もとても好きですけどね。邪香滅体…
図録を買って帰宅。