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バンクシーLINEその後

誤って2年分のLINEを削除してしまったことを、「バンクシーライン・シュレッダー事件」と名付けよう。

バンクシー事件から数日。心身ともにすごく身軽になった気がする。そもそも、しょっちゅう見直すわけでもない。「ある」ということだけが重要だったので、「ない」状態に悲壮的、悲観的になったけど、日常は全く変わらない。毎日飲むコーヒー豆がなくなった、というほど「日常的」なものでもないし、それほどの執着はない。

2年間の重みからリリースされると、kは私にとって「素敵な人」であって、楽しい片思いだ。今日もちょっと遠くから見かけては、全く無駄のない体とムキムキの腕に、ウフフ♡と見れたりする。

今日ね、階段であったんですよ。kが上から降りてきて、私があがろうとしたタイミングだったんだけど、「おうっ」てアイコンタクトしてきて、そのまますごい勢いで降りてきた。kだからというわけでもなく、単にスピードが早すぎて、「えっ、どっちに動いたらいいの?」みたいに左右に動いてしまい、それがすごく滑稽で二人で密かに笑ってすれ違った。話もしてないし、まあ普通の職場の人とのやりとりなんだけどね。愛おしい10秒だった。

平和だな。

マスクって皆さんしてます? マスクの効能全く信じない派の私ですが、マスクないと会社で注意されるし、電車もスーパーも行けない。戦って無駄にエネルギーを消費したくない派なので、一応ポージングでマスクしてる。

でもね、マスクし続けたらね、多分、ロボットみたいになってしまうよね。昔は花粉症シーズンだけマスクをしていたけど、今やちょっと外出する時も、自転車乗ってる時も、いちいち外したりするのめんどくさいからつけたまんまだったりするじゃない? ものすごく無機質なのよね。自分自身が。雨上がりの湿った匂いとか春や夏の訪れを感じる花々や草木の匂いとか、全く感じないの。外に出てる時、流石に人も周りにいないし、鬱陶しいマスク警察の人々もいないし(注意されたことないけど)、暑いしマスクを外したら、いろんな匂いが入ってきて、「私、生きてるな」って改めて思って、泣きそうになった。

従順な羊達になるのも本人次第だし、茶番の世界で必死に生きてる人がいて、誰がどうしようと正直興味もないけれど、操り人形みたいになって生きるのは私は勘弁なので、積極的に外せる時は、マスクを外そうと思うわ。意識的にしないと、本当無理だね。そして心が求める人とちゃんと交わる、そういう原始的な事を忘れたらダメだと思うよね。で、「この人求めてなかったわー、やっぱりkが好き」って思うのも、すごく自然なことで、私はそんな感じで、ガチガチに固めないで、瞬間瞬間で生きていこうと思うよね。

そうしてたら、そんなに間違った方向には行かない気がするよね。

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