私はきっとこの地でやることがあるんだと
でもそんなことはすっかり忘れて生きてきました

なんだか自分を生きていないような気がする
そんな感覚にとらわれたまま
まわりの人の言うとおりに
したり
それに反発したりしながら
ながされて生きてきたのです

そのことでたくさんの人に迷惑を掛けました
たくさんの人の想いを踏みにじったりしました
自分のあいまいさは
人を傷つける
そういうことが全く分からなかったので
はっきりしないまま
何となく生きてきました

そして
この先そういうことじゃだめだって
もうそろそろ気づかないと大変だって
いわれているのか
どうしても嫌なことはできないし
嫌な人とは会うと疲れるし
行きたくないところにはいけないようになってきました

前は行きたくないところにもいって
会いたくない人とも会って
食べたくないものも食べて
話したくない話にも合わせられていたのに

今は
わがままになったのかな
そのことで人に迷惑をかけるのかなあ
いやちがう
むしろ
私はこういう人間ですと
存在をはっきりさせて
自分の思うように生きることで
他の人も思うように生きられるようになったのです

こんな簡単なことなのに
なぜできなかったのか

人にあわせることで
うまくいく
調和する
協調性をたもつ
そういうことが平和だと教えられてきたから
だれだって人と争いたくないから

でも本当の平和って
もっとちがうんです

ひとりひとり
みんな意見があって
感じ方があって
このみがあって
タイミングがあって

それがバラバラだからこそ
調和するんだということを

教えてくれたのは
隣にいる人

そして
男たち

みんな私が寄せてくるのを嫌がりました

こんな風に時間がかかってしまったけど
わたしは何となくしかわからなった生きづらさの正体を
ようやく知りました

誰が悪いんでもなく
世の中のこんな感じ
みんなが一緒に誰かのご機嫌を取っている
「正しさ」とか
「かっこよさ」とか
「美しさ」とか
基準があるようでいて、ないものについて
真実をみつけたと思う人あがめたり
自分の考えのように思ってしまったりして
自分の頭や感覚やそういうもので感じ取ったり磨くことを忘れ
誰かの意見に合わせるようなことや
人を操ろうとする人の罠にかかったりして
自分を失っていくのです
自分という存在の純粋な輝きを

この人生はそれを取り戻すために
生まれと結婚相手という家族を選んで
出会いを繰り返し
自分自身を強く持って生きる人に魅かれ
そういう人の立ち方を見習おうとしました

わたしは
亡くなるときに
私がいた!と私の感覚で生きた!と胸を張って言えるように
生きていきたいのです


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