もういいかい、まあだだよ

かくれんぼしたときのこと

かくれんぼって、みつけてもらいたいけど
みつけてもらいたくないっていう遊びだったよね

かくれんぼって
すこしだけさみしくて
みつけてもらえるうれしさや
みつからなければいいなんておもってもどんどん
このままみつけられないんじゃないかっていう
不安が出てくるあそびだったね

こんなふうに
こどものころに
孤独のエキスを少しずつ味わって
おかあさんにも
試すようなことをしたり
自分が本当に愛されているのか
みつけてもらえるのか
信じ切れなかった

愛されているのかどうかを
私はよく試したなあ
どうしてそんなことをしなくちゃいけなかったんだろう
本当に愛されているという安心感が持てなかったのはなぜなんだろう

とても大事に育てられたのに
何不自由なく
わがままをきいてもらって
いろんなものを買ってもらったりした

けれど

何かが足りなかったんだなあ

愛されてるっていう
私がどんなことをしても
離れていかないっていう
一人にならないっていう
確信がもてなくて

うそをついたり
とりつくろったりして
いいこになっていなくてはいけなかったんだ

あとね

こんな風に感じていたよ

もし
おかあさんが何か大きな事件や事故災害があったとき
私は絶対に大丈夫だって思えなかった
こわがりだった母、心配性だった母、社会性がなかった母
そんな母を誰も守らなかった
父は自分勝手で
いつもひとりでいて
お互いがお互いを守っているという感じではなく
母は強くなるしかなかったけど
本当はとても一人で不安だったんだと思う

心が

だからいつも
子に頼ったり、あれこれと干渉してくるような
母でいるしかなかった

おかあさんって
こどもに何があっても守るよっていう存在だよね

彼女は違った

こどもに依存しようとしていた
守ってもらおうとしていたんだ

私はそんなのは嫌だった

ただそれだけだ

わたしも誰かに守ってほしい

安心したい

ずっとそう思っていたんだなあ

つながりがうんとほしかったのも

そういうわけだったんだなあ

母は今認知症になって
とても幸せそうに笑っている
やっと守ってもらえるようになったからなのかもしれない

こんなふうに
安心して身を預けて

お父さんは一人で介護をして
そのことの償いをしているのかもしれない

そして

そのことで、きっと喜びも感じているにちがいない

だから

私は守ってもらえなかった母に対してもう
何も求めないし
父にもそのまま思うようにやってもらえばいいんだ

じゆうなんだ

自由なんだ

誰かにまもってもらおうとして、叶えられなくて
傷ついていた過去の自分よ

もういいかい

もういいよ

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